龍馬に会いにゆく旅。

今日は高知日帰り旅行。
高知と言えば、何はなくても鰹のタタキと坂本龍馬!
龍馬との出会いは、1968年のNHK大河ドラマ「竜馬がゆく」だった(龍が竜なのはあえてフィクションだから)。
好奇心が強く、惚れっぽく、破天荒で器の大きい龍馬像が私の中にインプットされた。
それから20年後、友だちに薦められて今まで避けていた歴史小説への扉を開くきっかけになったのも大河ドラマの原作になった司馬遼太郎の「竜馬がゆく」だった。
イントロはこのくらいにして、本日ルートの往路は、瀬戸自動車道を利用して坂出経由で高知入り、帰路は今治から西瀬戸自動車道(しまなみ海道ルート)という贅沢なものだった。
最初に訪れたのは新春にふさわしく、高知県唯一の一宮神社である土佐神社(国幣中社)、御祭神は、味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)と一言主神(ひとことぬしのかみ)で、由緒については大神の鎮座地を定めようと投げた礫石(つぶていし)がこの地にとどまり、磐座(いわくら)として祭祀したものと伝えている。
バスから降りてそれぞれ本殿前で拝んでいると、巫女さんが本殿の中に招き入れてくれ、団体で正式参拝することになった。
実はまだ初詣をしていなかったので、ここでの正式参拝は本当にありがたいと思った。
厳粛な心持で祝詞を聞き、土佐神社の略記を女性の宮司さんから聞いた後に、お屠蘇を頂き、お守りと神社略記と鰹の燻製の入った袋まで頂いた。
集合時間まであと15分ほどあったので、いつもどおり駆け足で右回りに境内を巡る。
大国主神社、西御前神社、事代主神社と並び、裏に回って右側に出ると最後のほうには、輪抜祓所があった。
礫石やみそぎ岩、御手洗池や奥にはご神木の立派な杉の木もあったらしい。
この神社はあらためてゆっくりと訪れたい場所となった。
そして、いざ龍馬の待つ桂浜へ。

駐車場から闘犬センターなどの土産物店を抜け、松林が見えると、龍馬を愛してやまない高知県青年有志による寄付で建立した立派な龍馬像が現れる。
その想像以上の大きさにどこからともなく歓声があがった。
ひとしきりあらゆる角度からの龍馬撮影会が始まる。
龍馬の誕生日でもあり命日でもある11月15日を挟んだ2ヶ月間は、この像の横に展望台が設置され、龍馬と同じ目線で太平洋を眺めることが出来るという粋な計らいもあるそうだ。
それはできなかったものの、龍馬と同じように太平洋を見て、砂浜を歩き、波の音や風の音を聞きながら潮の香りを嗅いでいると、俄龍馬になった気分になる。
常に己に疑問を抱き試行錯誤して進んでいった龍馬に今の自分を重ね合わせたりする。
龍馬は最初から大志があったわけではなく、自分の意思で進んでいくうちに自分の役割を意識し始め、それに命をかけた。
臆病で優しく、繊細で豪傑という、人間臭い面を沢山の人にふりまき魅了した。
桂浜公園の突端には見晴らし台があり、そこには石が祭ってある神社もあった。
そこからの山道、空腹を抱えて上がり、龍馬記念館を目指す。
規模は小さかったが、龍馬の手紙が何通も展示してあって、それは一見の価値ありだ。
帰宅後調べてみると記念館発行の「龍馬書簡集」なるものがここで販売されていたらしい。
買い逃したのが残念!
これを読むと龍馬のユーモアと好奇心の強さが伺われる。
伝説になる条件の一つには早生があるのだろうが、彼が生きていたらまた日本の歴史が変わっていったかもしれない。
それか、明治が誕生したのちは、海外へと羽ばたいていったかもしれない。
そんなことを思いながら、昼は「かつお船」という、陸の船で鰹のタタキと海鮮バーベキューで腹ごしらえ。
帰り道に、高知城近くの「ひろめ市場」で自由行動では、この市場を抜けた商店街で、頼まれていたこの時期限定の「東山の乾燥芋」を必死で探しまわった。
親切な八百屋さんに聞くと、日曜市で出るくらいで一般売りはしていないという話だった。
仕方がないので、地元で愛されているような肉屋さんで肉じゃがコロッケや黒毛和牛のしぐれ煮(これは安価でとろけるように美味しかった!)、トラックで店を出していた八百屋さんでフルーツトマト、土しょうがなど、高知色豊かな物を買い、すぐに現実世界に戻っていった。

今年は大河ドラマの影響で「龍馬」が旬になることは間違いない。
そんな折に、偶然日帰り旅行の機会があって、一足早く龍馬に会いに行けた。
久しぶりに「竜馬がゆく」を再読してみようかな。
年代が変わると感じるものもまた変わるかもしれない。