タイムマシーン読書

最近読んで、満足度がかなり高かった小説の共通点が「学生時代」。
「ヘヴン」みたいにかなり痛いものもあったが、「船に乗れ!」「横道世乃介」、自分とはまったく違うその時なのに、何故かすぐに懐かしい気持ちになる。
それ以前でもその後でもなく、やっぱり誰にでもあるあの時は、いつまでたっても強烈な印象がある。
「桐島、部活やめるってよ」(朝井リョウ)は、現役の大学生が書いた、みずみずしい青春小説だ。

最初の章に書かれている一節。

 十七歳の俺達は思ったことをそのまま言葉にする。そのとき思ったことを、そのまま大きな声で叫ぶ。空を殴るように跳びはね、街を切り裂くように走りまわる。飛行機雲を追い抜く速さで、二人乗りの自転車をかっ飛ばす。恥ずかしいと思うよりも、そういうことが楽しくて笑ってしまう。勢いのまま生きるって、なんだか楽だし今しかできないような気がする。

これを読んだだけで、遠い昔のあの頃に、スコンと戻れた。
読んだ本、観た映画、部活での出来事、誰とどこで何をしたか、たわいもない話を真剣にして、笑ったり泣いたりしたあの日々が、少し前のことのように。
友だち関係のいざこざで、泣きっぱなしだった修学旅行の帰りの新幹線の窓から見えた家の灯りとか、その時慰めてくれた友だちの声のトーン。

受験シーズンへ突入する前の2年のお別れ会で、大勢で遊びに行った遊園地、その道中の電車の中で、笑って、騒いで、乗り合わせた大人たちの「楽しいねぇ」とうるさがらずにかけてくれた言葉、優しい眼差し。
そういう小さな情景さえ瞬時に浮かんできて、頭の中で一つのアルバムになる。
規制という不自由さの中にあっても心だけは限りなく自由だったあの頃。
そのことには、なかなか気がつかずに、不自由の不満をいつも抱えていた。
あの頃の私にそれを教えてあげたい。
そう思うけど、誰に教えられても納得することはない、そんなことも、今はもう知っている。
そして、高校時代はたぶん人生の中で一番、その中にあっては全てが平等なのだと思う。
心の中はこの小説のように、自分でなんらかのランク付けもしているかもしれないし、誰かにランク付けされていたかもしれない。
家庭環境や容姿や成績や、そんな優劣もお構いなしに肩を叩きあったり、話が出来る、そういう意味の平等が確かにあった。
そんなことを思いながらこの本を読み進み、誰彼ともなく感情移入し、たくさんの共感をした。
一人の小さな存在が与える様々な影響についても。
自分の知る範囲だけでつながっているのではないという事実、色々なところでリンクしているという真実が、こんなにも簡単に伝えられる。
作者にその意図があったかどうかはともかく、私はそれをしっかりと受け止めたし、若くても、ちゃんとそれを意識している人がいることが嬉しい。

タイトルで使われながら、本人が最後まで現れない桐島は、自分自身であり、自分の大事な人であり、自分とは直接関わりのない人でもある。
どんな人でも、誰かの存在に影響を受け、自分自身も誰かに影響を及ぼしているということに気付けば、小さな自分が寂しくても悲しくても、その存在意義を確認することが出来る。
孤独感さえ、自分だけのものではない。
今は、あの時より少しだけわかってしまった(そう思ってるだけだけど)つまらなさを抱えながら、懐かしい気持ちでこういう本を読む。
あの頃の私に、この本を渡してみたかった、などと思いながら・・・。