息もできない体験

一昨年、「シークレット・サンシャイン」という韓国映画を観て、初めて韓国映画の力強さを肌で感じた。
物語は、夫に先立たれた未亡人のシネ(チョン・ドヨン)が、愛息と共に新しい生活をスタートすべく密陽(ミリャン)へ来るところから始まる。
期待と不安を胸に抱いて密陽へ車を走らせるシネ。
長閑な田舎道へ、柔かい日差しが注ぐ。
最初に知り合ったのは、車の故障で立ち往生していた彼女たちに救いの手を差し伸べてくれた、気のいい中古車屋のジョンチャン(ソン・ガンホ)、彼はいつも近くで彼女を見守る。
まさに、この彼の無償の愛こそが、優しい日差しにほかならない。
彼女に起こる不幸な出来事を通して、韓国の文化や宗教、暮らしぶりが見えてくる。
映画としての完成度はもちろんのこと、韓国という国そのものを強烈に見せてくれた映画でもあった。
そして昨年、「母なる証明」(ポン・ジュノ監督)、「チェイサー」(キム・ユンソク監督)で、私の中に韓国映画ブームが訪れた。
(このことは、ポン・ジョノの話の時にすでに熱く語った)
それまで苦手だったクライム・サスペンス映画も、これを機に観るようになり、観るたびにこの国の抱える問題や、力強い民族性に驚く。
そして、今年最も楽しみにしていた映画、「息もできない」を、福山での封切初日に観る。
この映画の最初のシーンは、夜の町でケバイ化粧をした女が殴られるところだ。
そこへ通りかかった主人公サンフンが、男たちに殴りかかる。
決して女を助けたわけではなく、殴られっぱなしでいる女に対しても「殴られてばかりでいいのかよ」と殴る。
この映画の全てを表現しているくらい重要なシーンなのだ。
借金取りのサンフンが、何でもないことのように行う日常的な暴力シーンが、最初目を背けていた私にも、麻痺して来るのがわかる。
日常というものは、苦しくてもそういうものなのだ。
そして、その暴力に屈しない女子高生ヨニとの出会いもまた鮮烈だった。
この映画が恋愛映画だとしたら、史上最悪の出会いのシーンと言えるかもしれない。
なにしろ、ヒーローがヒロインに唾を吐くのだから。
でも、今まで観たどの恋愛映画よりも切なく美しいシーンがこの映画にはある。
求めあう魂が共鳴する瞬間に、涙が溢れて止まらない。
環境というものは、ある程度成長しなければ自分ではどうすることもできない。
生まれた国、家、同じように生まれた命が、その環境によって、まったく違う人生を歩む。
核になる家族、どうにも出来ない環境の根源がそこにはある。
だからこそ、見えるものもたくさんあると思っても、あまりにも切ない。
「この映画は暴力で奏でられるロマンスだ」というコメントがあったが、私もそう感じた。
「されたくないことはしなければいいじゃない」そう思っていた私の中のややこしい正義感が流された瞬間でもあった。
暴力を正当化しているわけでも、肯定しているわけでもないが、殴っている側にもある痛みや、込められたどうしようもない思いが、少しはわかったような気がした。
「息もできない」はヤン・イクチュンの、脚本・監督・主演による、彼の体験がベースになった、彼の個人的な映画だ。
彼は、自分の中にいつまでもある、家族に対してのモヤモヤした思いを、吐き出すためにこの映画を作ったと言っている。

映画の細かい手法の善し悪しは、私にはわからないが、どのシーンにも釘付けになり、息苦しくなるくらいドキドキしながら最後まで、サンフンの生きざまを見届けた。
原題は「糞蠅」だそうで、英題「Breathless」の邦訳が「息もできない」。
どの題でも、不思議としっくりとくる。
韓国は、無名の監督による作品が次々と興行的に成功している。
日本では、映画産業自体が巨大化しているのか、観客の見る目が肥えていないのか、残念ながら、ここまで強烈な作品はなかなか出てこない。
この映画、見終えて茫然自失、なかなか席から立てなかった。
涙だけじゃ足りないのか、声もでそうになり、まさに「息もできない」貴重な体験になった。