くじけないよ

「ねえねぇ」
「何?」
「○○って△だよねー」
「は?」
言葉のキャッチボールが出来ないと、無性に切なくなる。
会話にはリズムが大事。
野球のキャッチボールでも卓球のラリーでもサッカーのパスでも、相手を思いやるリズムが長続きの秘訣となる。
終わった後の爽快感、充実感も内容、濃度で違う。
そんな会話を今年はどれだけ出来ただろうか?
ふとそんなことを思った。
本や映画や講演会でたくさんの有難い言葉に出会ってはいたが、それを十分に使いこなせずに年明けを迎えようとしている。
いいことがあったら、感謝をする。
心からという形容詞がなければ、これはわりと安易だ。
嫌なことがあったら「ありがとう」と言う。
これが一番難しい。
後から振り返って、その意味を噛みしめ、「ああ、あれはそういう意味ね」と納得しての「ありがとう」は言えそうだが、言葉のキャッチボールの最中にそれはなかなか出てこない。
たくさんの言葉の中から、一番シンプルな誰もが知っている言葉が、案外使うのが難しい。
今年、我が家でブームになった「くじけないで」(柴田トヨ著)は、そんな言葉の宝石箱のような本だった。
母(姑)は、これを読んだ後、10年以上も習慣的につけている日記に何篇かの詩を書き、本を2冊読んだ。
「とりつくしま」「君は何故絶望と闘えたのか」今も「ラジオ深夜便」の月刊誌を読んでいる。
母(87歳)は自分より年上の柴田さん(99歳)に大いに刺激を受け、ますます好奇心旺盛の生活をしているように思う。
その母に刺激を受ける私。

「先生に」(柴田トヨ・くじけないで より)
私を おばあちゃん と 呼ばないで 「今日は何曜日?」「9+9は幾つ?」そんな バカな質問も しないでほしい 「柴田さん 西条八十の詩は好きですか? 小泉内閣をどう思います?」こんな質問なら うれしいわ
この詩が気に入った私は、母にときどき意地悪な質問をする。
「試験みたいでやだー」と嫌がることもあるが、考えて考えて、浮かばないとヒントを出して、正解が出ると、「やっぱり、考えんとねー」と嬉しそうにする母。
柴田さんは、私たちに勇気をくれる。


「くじけないで
ねえ 不幸だなんて
溜息をつかないで
陽射しやそよ風は
えこひいきしない
夢は
平等に見られるのよ
私 辛いことが
あったけれど
生きていてよかった
あなたもくじけずに」(柴田トヨ)

くじけないよ
不幸だなんて あんまり思ったことないけど
溜息はよくつくから
陽射しやそよ風とか
些細なことへの感謝や
夢をみることを
ときどき忘れている
たくさんの言葉たちが教えてくれる
たくさんの人たちを通して
あなたを通して