岐阜の旅(白川郷・飛騨高山・日輪神社

スキーを兼ねて、雪の白川郷と飛騨高山に旅をした。
夜通し高速を走り、昼まで高鷲(たかす)でスキーを楽しみ、3時には白川郷へ到着。
初日の宿、合掌造りの民宿「一茶」(いっちゃ)に荷物を置き、早速世界遺産の村を歩く。
抜けるような青空、白い帽子をすっぽりかぶった合掌造り、どの季節に訪れてもきっとこの風景は、何かしらの感動を旅人に届けてくれるだろう。

足元の悪い雪道を汗をかきかき展望台まで登って、村全体を眺める。
写真サークルの人たちが、三脚を立てて先生に習いながらシャッターを押している。
夕暮れになって、合掌造りの灯りがぼんやり見える頃が、今のシーズンのベストショットらしい。
とりあえず、その場を後にして見学できる家に入ったり、お店を覗いたり、ゆっくり村を回って、民宿へ戻りお風呂に入った。

夕食までの短い時間に、夕暮れの村の写真を撮りに車で再び展望台へ向かう。
先ほどとはまた違う写真サークルの人たちがカメラを構えてその時を待っている。
家の灯りは、温かく切ない。
そこに人がいて、生活があって、みんなそれぞれいろいろなものを抱えて生きている。
そこまで思ってしまうのは、よく新幹線での帰路、夜の車窓から家の灯りをぼんやり眺めていたときに、いつも悲しくなったからなのだと思う。

宿に戻ると、もう夕食の準備は出来ていて、先客から「お先に失礼しています」という丁寧な挨拶を受けた。
中国人の若者たちと、引率の日本人男性のグループ。
隣には、台湾からの幼子を二人連れた家族。
日本人は私たちだけという、アジアパワーを目の当たりにする。
土産物の豆屋さんでもフランス人夫婦に声をかけられ、片言英語で商品の説明をしたのだけど、ダイコン(ラディッシュ)が出てこなくて、「ダーイコーンーピクルスー」と売れない漫才師のような説明をした。
世界遺産の地は、グローバルだ。
日本の原風景の中にいて、それを強く感じるのが不思議だ。
特に、アジアの(中国・台湾)の豊かさをニュースではなく、実感として理解できたような気がした。
夕餉は、山菜中心の素朴なもので、熱々の味噌汁が一番の御馳走だった。
部屋に戻ると、疲れがどっと出て、朝まで温かかったアンカ(タドンが入っていた)のおかげで、爆睡。
朝はきっちり7時前に目が覚めて、予報は雨模様ながら、曇りなので早く次の地へと心は躍る。

白川郷から飛騨高山までは、1時間ほどの道のり。
駐車場に車を置き、さっそく古い町並みを探索する。
陣屋前にある朝市を見たが、全部で10件ほどの市が出ていて、漬物や味噌、お餅や手作りのおもちゃなどが並べてある。
人も少なく、活気がないので拍子抜けしたが、正午で閉めてしまうので漬物と味噌だけを買った。
面白かったのが、「高山陣屋」で、幕末には全国に60数か所もあったのに、建物がこうして現存しているのは、ここだけということで、時代劇でよく見る白州や拷問道具もあり、撮影もよくおこなわれるのも頷ける。
陣屋を出て、古い町並みをゆっくりと散策する。
町並みは、統一感がありすぎて、生活感がなく、それが観光化していると言えば言えなくもない。
同じ観光地でも白川郷とはかなり趣が異なる。
コンビニや銀行も町並みに馴染むように工夫されていたのが印象的だった。
これも観光地ならではの街づくりなのだろう。
2日目の宿、新穂高温泉に行く前に、是非訪れたかった日輪神社に寄る。
岐阜では位山か日輪神社というほど、由緒あるパワースポットなのだそうで、ナビにも載っていない場所だったが、住所をメドに国道を走っていると鳥居が見えた。
雪で覆われた参道は、かなりの急斜面で、足跡もたったひとつだけうっすらある程度の寂しい神社だった。
滑りそうになりながらもなんとか辿り着く。
たやすく行けるところよりも、苦労したほうが御利益はありそうだ。
雪で覆われていたので、ピラミット型の森の形もはっきりわからなかったし、本殿の横にある盃状穴の存在もわからなかった。
しかし、拝殿にあった御記帳には全国各地からお参りする人があることがわかり、帰ってから詳しく調べてみると、「知る人ぞ知る由緒ある場所」だった。
なんと言っても祭神は「天照大神」なのだから。
拝殿に入って拝んでいたら、狐か狸が本殿の前を横切った。
「これは縁起がいいから狐ということにしようよ!」と。
下りのほうが怖かったのだが、早速ご利益があったのか、滑り転げることなくスムースに降りることが出来た。
今回の旅行は前後にスキーを堪能して盛りだくさんの充実した旅行だった。
「ありがとう」とともに誰彼ともなく「私ばっかり楽しくてすみません」と言いたい気持ちになりました。