祈り

1995年、1月17日、今から16年前にこれまで日本の災害史上最悪の出来事が起こった。
阪神・淡路大震災。
午前5時46分、この地三原でも、かつて経験したことのない強い衝撃で目が覚めた。
ガラス窓がガタガタと音を立て、寝床のすぐ横の大きな本箱が揺れ、反射的に起きて抑えた。
どのくらいの時間だったかは覚えていない。
短いとも長いとも、とにかく記憶になかった。
静まって、下に寝ている母に声をかけると、「大丈夫! すごかったなあ、びっくりしたわ」たぶんその程度の会話で、何事もなかったようにそのまま起床時間まで寝たような記憶だ。
朝、実家や友だちから電話があり、当の本人たちがケロっとしていたので、土台の岩盤の強さに感謝した。
昼のニュースを見るまでは、阪神地区があのような大惨事になっているとは思わず、私たちは、普通に仕事に行き、普通にスポーツをして、揺れが酷かった家での落下物の話をし、震源がどこだとか、被害状況はどうだとかは、考えていなかったような気がする。

昨日、3月11日、その時間に私は友人宅にいた。
15:27着「今、凄く揺れています さすがに怖いです」というメールを川崎に住む友だちから受け取り、すぐにテレビを点けてもらった。
そこに映っていたのは、海の水がまさにその領域を超え、まるで汚れた巨大なカーペットが、田んぼや道路、生活区域に敷き詰められようとしていた。
まだ気がついていないのか、方向が分からず右往左往している車に向かって、「早く逃げて!」と届くはずもないテレビに向かって叫ぶ。
メールをくれた友だちに電話しても、もう繋がらない。
すぐに用事を済ませて、帰宅し、テレビを食い入るように見た。
黒い悪魔が人々の築いてきた大切なものを一瞬のうちに破壊している。
津波は不気味なほど静かに、そして徐々に勢いを増し、周りを破壊しながら侵入し、また、他の場所では、一気に黒い大きなうねりが全てを飲みこんでいた。
時間が経つにつれ、この地震による、特に津波による被害の大きさが明らかになってきた。
高いビルに逃げ延びて助けを求める人たちや、避難所で疲労困憊している人たち、連絡の取れない家族を必死で探す人、一日中全ての放送局は、この未曽有の災害を伝えている。
船が、家が、夥しい数の車が、容赦なく流されていく。
破壊された線路や道路に乗り上げて、やっとその漂流を終えた大切なもの。
CMもなく、笑いもないテレビだけが、日本中が同じ悲痛な空気の中にいることだけを実感させてくれる。
今起きていることを悲しく、苦々しく、切ない想いで見続けることだけが、唯一のできることのように。
関東の友だち、福島や茨城の親戚、宮城の何人かの知り合いの無事は確認できたが、まだ茨城の友だちと、福島の知人、宮城の親類とはまだ連絡が取れない。
何通かの情報メールが送られてきて、必要と思える情報を転送メールした。
そうしながらも、刻々と流れる時間の中で助けを求めている人がどうか助かりますようにと、祈ることしかできない。
神は、また「沈黙」をしているのだろうか?
この長い沈黙はいつまで続くのだろうか?
この試練に、どういう意味を見出して、耐えなければならないのだろうか?
あまりにも、重荷を背負わなければならない人が多すぎる。
3日目の朝、宮城以外の知人とは連絡が取れた。
茨城の友人は、学校の行動で生徒たちとともに、不自由な生活を強いられているが、みな無事ということで、安堵した。
昨日は近隣の温泉でお風呂に入らせてもらえたと伝えてくれた。
自然の猛威や、世の無常の次に感じることが、人々の善意、あたたかい心であるように、祈ってやまない。