さようなら、赤ちゃん

「わぁ、かわいい! 何カ月?」
新緑が眩しい公園のブランコに揺られて、抱っこしている赤ちゃんを覗きこんで見知らぬ人に問われて、一瞬答えに詰まる。
「あ、えっと、1月生まれだから4カ月かな・・・」
即答できないことで、私の腕に抱かれて無邪気に笑っている赤ちゃんが、自分が産んだわけじゃないという事実を痛感する。
両親に買ってもらったバギーに乗せて、家路に向かう。
確か、歌を口ずさみながらゆっくり歩いていた。
この子はめったに泣かないので、時間を決めてミルクをあげる。
もちろん母乳は出ない。
赤ちゃんが哺乳瓶に吸いつく様は、無防備で生命力に溢れ、でも滑稽で、無条件に愛らしい。
その後私は、母乳に吸いつく赤ちゃんは天使だと知る。
もちろん、母乳を与える母親はマリア様だということも。
食が細いこの子は、めったに最後までミルクを飲まない。
飽きて、哺乳瓶の乳首を転がしながら遊ぶ。
「もう少しだよ、がんばれ」とちょっと押しつけて促しても、不服そうな顔をして力弱く退けるだけ。
そのめったにない光景が、私の至福の楽しみになった。
小さな尖った唇が哺乳瓶の底から見える。
全てを委ねている唇の動きに合わせて、同じようにちゅーちゅーと尖らせてみる。
哺乳瓶のあちらとこちらで作られた二人だけの世界。
瓶をその唇から離す、「ポン!」と音がする、嬉しそうに笑うその子を、静かに抱き起こす。
背中を今までしたこともない優しさでさすって、小さな音を待つ。
決して私の服を汚さず、「もういいよ」の合図だけのゲップに、赤ちゃんからの愛を感じる。
済んだ後に、脇を持って正面から大の字に抱えると、小さな歯茎を出しながらケラケラ笑う。
生後三カ月から私が嫁ぐまでの七か月の間、姪が私にくれたものは、かけがえのない沢山の瞬間だ。
その後、姪はしばらく私の母に育てられた。
もうお母さんになった姪は、いまだに祖母には優しい。
小さい頃の沢山の愛情をちゃんと覚えているかのように。
ただ、彼女が思春期に四人家族の中で疎外感を抱えていたのも知っている。
一番可愛い時に、一緒に過ごせた幸せと、そうでなかったことの重要性を、今更のように思う。
私の思いが、母性であったのか、何であったのか、未だにわからない。
でもあれはまぎれもなく与えられた幸福感。
映画「八日目の蝉」を観て、思いだした昔の幸福な思い出とそのうらはら。
大きくなった赤ちゃんは、まだ私に違った経験を与え続けてくれる。
あの頃のことを思い出して深く息を吸うと、何故かあの甘いミルクの香りがする。