文化な日(8月8日)

今日は二カ月に一度の観劇の日。
「映画や演劇は、一人で観たら趣味だけど、大勢で観たらそれはもはや文化です」と、心に残る名言を、前回熱演後の歓談で話された伊藤孝雄さん所属の劇団民芸による「静かな落日」。
作家広津和郎を中心として、明治の文豪を称されたが若くして筆を折ったその父柳浪、自由奔放な父和郎に反発しながらもやがて父を理解し、力となる娘桃子との親子三代にわたる広津家の物語を、家族や友人との軽妙な会話の中にその時代の生活や、出来事、思想までが随所に散りばめ、見応えのあるものに仕上げた。
国鉄三大ミステリー事件の一つと言われている「松川事件」(電車の脱線転覆事故で、乗務員3名が死亡し、当初は人員整理に反発した左翼の抗議行動事件として大量の逮捕者を出し、20名が起訴され、最高刑では死刑判決が下された)をきっかけに、書きたいものだけを書き、戦中戦後の自分の書きたいものが書けない時期は、呑気に骨董収集や賭けごとに身を興じ、家族を捨て、愛人と暮らすような和郎が、誰も告発しなかった冤罪に、友人と共に挑んだ。
その執念が実り、結果、逮捕者は全員無罪放免となる(真犯人は結局わからぬまま時効を迎えた)
重いのは、冤罪が作られた取り調べ室の場面だけで、全体的に大儀を成し遂げたという大袈裟なものではなく、作家広津和郎の人物像を、娘、父親、親友(作家・宇野浩二)との会話を通して観客に伝えるものだった。
娘の桃子が父の本来の姿に気がついた時に、「お父さんが好き・・・。」と言う、普通だったら恥ずかしくなるような台詞が、なんとも新鮮だった。
父の本当に姿を見ることが出来た幸せな娘の話でもある。

この日は、午前中にシネマ尾道で「無言館」のドキュメンタリー映画も観た。
8月6〜10日の限定上映で、以前尾道市美術館で観たことがあった戦没画学生の作品展で、その名前を知っていたこともあって、以前から楽しみにしていた。
無言館は、窪島誠一郎氏が画家の野見山暁治さんと共に全国を回って、戦没画学生の遺族を訪問して遺作を収集して、長野県上田の周囲を山に囲まれた田園地帯の丘の上にひっそりとたたずんでいる小さな美術館で、1997年に開館された。
映画の中で窪島さんは、「無言館は、作品が無言で語りかけてくるということではなく、作品の一つ一つに込められた思いが、観た人を無言にさせる」と話している。
そして、「文学や音楽は怒りの中からも生まれるが、絵は愛が無くては生まれない」と、結んでいる。
実際、この無言館に展示されている作品は、志半ばで散って逝った画学生の愛そのものに溢れている。
彼らが愛した家族、恋人、故郷の風景、どの絵も溢れている。
それなのに、自画像は切ない。
どの顔も、観る者に「もっと書きたい! もっと生きたい!」と訴えかけているような気がする。
ちょうど、6日の広島原爆の日が過ぎ、15日の終戦記念日が近い8日に、こうして映画と劇という、二つの文化に触れた。
無言館のドキュメンタリーに涙し、静かな落日の熱演に笑ったり唸ったりする。
そんな自分の環境に、つくづく平和を感じる。
まだ生まれていない時代の大きな出来事を思うとき、私たちは今の平和を感じると同時に、それがあってこその「今」があるという感謝を忘れてはならない。
「今」は沢山の犠牲の上にあるものだ。
ある人には幸せではない「今」も、実は未来の誰かの幸せのためにある犠牲なのかもしれない。
だから、それは決して無駄にはならない。
もちろん真っただ中にある自分自身にさえも無駄にはならないのだけど、そのために命を無くしてしまっても、たぶんそれは無駄にはならない。
何故か、そう思える気がした。
それを、今まで亡くなった人すべてに伝えたい、そんなことを思った一日だった。