復活、お習字

友だちに、「友だちのお姉さんがお習字をしているんだけど、水曜日の夜、ちょっと覗いてみない?」と誘われたのは、7月の初めのこと。
それから間もなく、そのお姉さんと先生が二人っきりの教室をちょっと覗いてみたら、先生がにかっと笑っていろいろ説明をしてくれた。
結局、8か月分の会費の代わりのテキスト代(5000円)をさっさと払い、中筆と墨汁と半紙を注文し、持ってきた父の形見の筆と硯に、お姉さんから借りた墨汁を垂らし、下敷きも借りて、先生に手本を書いてもらって、「火雲方熾」を練習する。
とにかく真剣。
「久しぶりに集中しちゃった」なんてちょっと嬉しくしながら、あっという間に1時間半が過ぎ、帰る頃にはすっかり純真な生徒の顔になっていた。

「そういえば私、小学生の頃お習字してたんよ」
「えー そうだったのー」
「しかも、けっこう上手だって乗せられてコンクールに出品したりして、表彰されたりしたのよね」
そんな数少ない自慢話を珍しく友だちにした。
小学4年から6年までの3年間、母と娘がする小さな書道教室に私は通っていた。
白髪をアップにして、いつも着物を着て姿勢の良かったおばあちゃん先生。
私は、その先生がとっても好きだった。
先生の朱色の筆で直される時の独特な匂いや、古い家の佇まいが好きだった。
先生が後ろを通ると時々背中に白い足袋の先が当たるような狭い畳の部屋には、沢山の小学生がいた。
週に2回、月に8回、確か月謝は300円くらいだったように記憶している。
同級生が算盤や学習塾に行くので、何か習いたくて親にねだると、「お習字だったらいいよ」と許可してくれた。
姿勢が良くなる、すなわち行儀が良くなる、字もきれいになる、親にしてみれば一石二鳥だったのだと思う。
しかも300円という破格の月謝。
授業で書いた作品は必ず張り出されて、横には金の折り紙が貼り付けてあった。
銀や銅の記憶はないから、いつも金だったのだろう。
一度だけ、学校以外で明治神宮へ提出してメダルを貰ったこともあり、今でもそのメダルは大切に取ってある。
父が考えた「菊の花誕生日」と、長い紙に大きく書いた。
学校代表で、書きに行ったこともあった。
その場で題を知らされ、1時間で書いて提出する。
結構いい成績で表彰された記憶があり、題まで覚えている。
「友愛」。
この単語はずっと私の記憶の中にあり、鳩山さんがなんとなく好きだったのはこのせいかもしれない、と思っている。
そんな遠い昔の、栄光の日々が断片的に蘇ってきた。
父は、独自に通信で書道を長い間続けていて、いつの間にか母の友だちが生徒になり、2人に教えていたらしい。
今になって思えば私も父の生徒になればよかったと思う。
神奈川と広島という距離だからこそできた、先生と生徒という関係になっておけばよかったと後悔する。
父の形見の筆は少し太いので、初心者にはまだ難しい。
2回目からは、先生の用意してくれた中筆で練習することにした。
「いち、にい、さん、と、リズムで書くんです。息を止めないで、力を抜いて」
何十年ぶりに書いていると、最初はやたらと肩に力が入って太すぎるし、バランスが悪く格好が悪い。
「はねるところや止めるところ、はねる前には次の動きを予測して肘を使って自然に上にはねるように・・・・○□△※☆」
何度聞いても、頭では理解しているようで、手がついていかない。
でも、その時間が楽しい。
とうとう、家でも練習するようになった。
50の手習いは、昔取った杵柄でもあり、懐かしさと新鮮さと期待という、プラスの感情で胸が膨らんでいるのです。