自由とアメリカ

1984花に囲まれて生まれた
疑うことばかり覚えたのは戦争映画の見すぎか
親たちが追い掛けた白人たちがロックスターを追い掛けた
か弱い僕もきっとその後に続いたんだ

今、とっても気に入ってる日本のロックバンドandymori(アンディモリ)の1984の歌詞だ。
1984はこの歌を書いた小山田壮平君の生まれ年。
その10年ほど前、私は自由の国アメリカにいた。
英語の勉強をいう名目ではあったけれど、私は五感で自由を感じたくて一人アメリカへ渡った。
私が当時見たアメリカは本当に自由そのものであったと思う。
一番そう感じたのは、恋愛の自由。
特にゲイに関しての大らかさに驚いた。
サンフランシスコという土地柄も確かにあったかもしれないが、私の下宿の隣はゲイ専門の映画館だったし、英語を教えてくれた男の先生も見るからにゲイだった。(ショートヘアにマッチョを強調する身体にフィットするシャツ、そしてなくてはならない口髭)。
実際、街で先生が長髪の自分より若いきれいな男性と腕を組んで楽しそうに歩いていたのを見かけたこともあった。
二つ先のストリートはゲイ御用達のショップが連なり、夜そこを男性一人で歩くと、男たちの熱い視線が飛んできて、ナンパの嵐だった。
ひだまりで抱き合っているカップルは、よく見ると男性同士だったり女性同士だったりして、下宿にもゲイカップル、レズカップルが何組かいた。
こういう光景を日常とする自由さに私は憧れたし、アメリカをすごい国だなぁ、と思った。
でも、9.11以降か、それ以前か、いつしかアメリカは、私にとって憧れより危険な国としての印象が強くなり、日本がそれに追従しているような危惧を抱くようになった。
先日「キッズ・オールライト」というアメリカ映画を観て、私は、アメリカに憧れていた頃の新鮮な気持ちを抱くことになる。
物語は、レズビアンのカップルが同じ精子提供者によって子ども(男女)を生み、四人家族で仲良く暮らしていたところに、父親である精子提供者が現れ(子どもがコンタクトをとった)家族に異変が起こる。
親と子どもの関係、夫婦の関係、友だちとの関係、さまざまな関係をユーモラスに時にはシリアスに描いている。
これを観て、アメリカの持つ母性を私はあらためて強く感じた。
宗教も、ドラッグも、恋愛も、自由であるが故に、いいことばかりではない。
そこには、自由であることの代償も当然発生する。
個々がそれぞれの言い分を主張し、個性をさらけ出すことは、素晴らしくもあり危険でもある。
自由であり続けるということの困難を考えるとき、アメリカの現状を思わずにはいられない。
その正負全てを受け入れているのであれば、アメリカはあの頃私が憧れた自由の国であり続けている。
自由は決して自分勝手ということでもなく、自分だけでは実感することは難しい。
周りの環境が、それを認められる寛容さがあって初めて、自分自身の自由を実感できる。
その寛容さがアメリカに感じる母性だ。
あらためて私にはアメリカは自由な国として、映った。
1984年に生まれた、若者にはアメリカはどんな国に映るのだろうか?
もう、誰もアメリカに憧れを抱かなくなったのか?

自由ゆえの葛藤、それが今のアメリカの姿、未来の日本の姿?
そうだとしても、日本はもっといろいろなことに関して寛容である必要がある。
そこにちゃんとした個人の倫理があれば、そんなに危険な方向へ進まないのではないだろうか。