屋久島は雨が似合うのだ

何年か越しの夢の実現ということで、屋久島に行ってきた。
無謀にも片道11キロの長丁場をひたすら歩いて縄文杉に会いに行くという過酷な夢。
仕事帰りに車を走らせ、7時間ほどで鹿児島港へ到着。
噴煙に煙る桜島の左肩から登る朝日を眺めながらの船旅。
貴重な睡眠時間を、あまりに見事な雲の品評会に見とれて逃してしまった。
宮之浦港へ到着後、レンタカーを借りて、本番前のウォーミングアップでもののけ姫の森へ妖精に会いに、白谷雲水峡を歩く。
さっそくどっしりとした屋久杉を見上げながら、時々そこにちゃっかりと着生しているナナカマドやサクラツツジに思わず頬が緩む。
原生林を歩く神秘はやはりここに入らないとわからない感覚だろう。
憧れて、丹念に計画をして、多少のトレーニングもして、日々の雑事を片付けて、お金を使い、疲れた体に鞭打ってはるばるここまでやってきた人たち(大袈裟!)だよ、私たちは! って、そう頭のどこかで伝えながら歩く。
弥生杉・二代大杉・奉行杉に出会うと、朝までの文明社会から原始の世界へワープする。
歩を進める身体と、だんだん心が繋がっていくのがわかる。
そこら中の気が入っているのだ。
寝ていなくても、身体が動いていく、滝の音、夏の終わりの蝉の声、決して邪魔にはならないよそ者の存在を仲間に知らせるヤクザルの声、苔生す斜面からキョトンとした顔を見せてくれるヤクシカ。
空からは、この屋久島を原始のままの姿に守ってくれている惠の雨が時々降ってくる。
雨さえも嬉しく感じながら歩く森の中。
白谷小屋を超えもののけ姫の森まで来ると、帰りの心配、本番である明日の心配が頭をよぎる、目指す太鼓岩までは30分はかかるだろうとすれ違う人に聞かされ、辻峠でUターンする。
帰りは雨の中を速足で歩く。
本番を前にしてもう屋久島を満喫した気分になった。
朝3時に起床、朝・昼のお弁当をザックに詰めて、4時半のバスで往復10時間の行程(約22キロ)、いよいよ縄文杉に会いに行く。
5時半スタート。
ヘッドライトの明りを頼りに、まずはトロッコ道を荒川登山道まで、ひたすら歩く。
30分もすると徐々に明るくなり、2本目の大きな橋を渡る頃にははっきりと周りが見えくる。
遥かかなたまで永遠に続くみたいに転がっている岩塊の間を、勢いよく水が流れている。
歓声を上げながら、昨日の雲水峡とは明らかに違う屋久島の懐の深さを実感する。
民宿の主人が教えてくれたショートカットも無事通過し、得した気分で順調に歩く。
長いトロッコ道に少し飽きると、誰に演出されたのか、猿や鹿が元気づけに出てきてくれる。
少し長めの休憩をとり、いよいよ登山道へ。
二番人気の中に入ってある角度から空を見上げるとハート形に空が見えるウィルソン株には多くの人があちこちで記念撮影の順番待ちをしている。
歩いているときは気がつかなかったが、こんなに多くの人たちが一緒に歩いていたらしい。
今をときめく山ガールもワンサカいる。
500メートルの間隔に有名な杉が疲れた身体を元気づけてくれる。
トレッキングを甘く見てはいけない。
8キロの長さを足元に気をつけて歩いてきた登山者にとっては、わずか3キロの登山道は、槍ヶ岳登山に匹敵するくらいの過酷さだった。
そして、いよいよ縄文杉に会う。
どんな感動があるだろう、どんな気を貰えるのだろうと想像し続けていた、その場所は、多くの人でごった返していた。
当たり前と言えば当たり前のことなのだが、こうしてその場にたつと、気を感じるどころか、写真を撮ることも難しいくらいの混雑ぶりで、拍子抜け。
その群集の一人が自分であることに少しの罪悪感を覚え、しかし、これだけ多くの人と達成感を共有しているとも言える。
そうだ、そう思おう。
10年前は、少数の幸せな人が、こうして多くの人に増えている。
一生懸命そう、言い聞かせる。
帰りの過酷さは、つぶれた豆と割れた爪が何よりの証拠。
無事に辿りついたバス停で、ハイタッチをする余裕がまだ残っていたことが誇らしかった。
疲れた身体をバスの揺れに委ねて、目をつぶると、最初からの行程が頭を過る。
誰もがきっと今日ばかりは自分を褒めているに違いない。
昨日よりずっと自分を好きになっているに違いない、そう思った。