中国・北京旅行―1(珍道中の予感)


屋久島・沖縄の旅(まるでJTBツアーのよう)の後は、なんと初海外旅行の二人と35年ぶり(ほとんどお初じゃね)の私という家族三人で、中国・北京へ旅立った。
実は10年前、「死ぬる前に一度万里の長城へ行ってみたい」とポツンと漏らした母の一言で、北京・桂林の旅を企画して、パスポートも取得、旅行会社からパンフレットを取りそろえて、どこのツアーにしようかと迷っている最中にあの事件、9.11アメリカ同時多発テロ事件が起きた。
治安が不安な海外旅行ということで、無期限中止となり、母はいつの間にか米寿を迎えて、ここ何年かで、圧迫骨折をしたり、頸椎ヘルニアになったりした。
それでも、意欲的に治そうと努力し、家事も相変わらず積極的に参加してくれる。
米寿のお祝いにと、母が意欲のあるうちに急に企画したこの中国旅行。
「北京3泊4日で、中2日の市内観光(メインは万里の長城)だから、大丈夫だよね」とタカをくくって申し込んだわけだが、ところがどっこい、やはり中国はとてつもなく広かった。
まずは、珍道中中国・北京の旅第1弾の始まりはじまり!
1日目 家を11時半に出発、空港付近の駐車場に車を停めバスで空港へ。
一番奥にある殺風景な国際線のカウンター前の椅子に座り、出発2時間前の説明を待つ。
同じように不安げな顔をしている人、旅慣れた風な人、ツアー客はだんだんと増えてきた。
早口の説明を聞くも、わかったようなわからないような、「とにかく北京までは頑張って行って下さい」ということなのだ。
広島から北京までの直行便はなく、大連経由(入国審査)で北京へ辿り着く。
結局、1時間遅れで広島を出発、パック詰めの冷やしうどんという不思議な機内食を味わいながら、大連へ。
砂漠の中のオアシスのように突然現れた大連空港を空の上から眺め歓声をあげる。
同じ飛行機に戻るらしいが、なにしろ日本語を話せるCAのいない飛行機。
不安な面持ちで、長い通路を速足で歩き、何とか無事に入国手続きを済ませ、無事機内に戻る。
中には、「帽子を取れ!」と威嚇されたり、サインがないと怒られていた人もいて、緊張感だけではなく、明らかに入国を歓迎されていないような気がして、あらためて中国と日本の微妙な関係を感じる。
それでも、夕暮れの北京が見えて、空港の外に出て現地のガイドさんやこれから行動を共にする、実は一緒に行動していたはずの同じツアー仲間と会うと、心から安堵した。
大連から北京までの機内でも軽食を取ったが(サンドウィッチ)安心したせいか、お腹もすいた。
少し遅い夕食は、家庭で作る中華料理にも近い、野菜たっぷりで身体にも優しい広東料理。
改めて、同じツアー仲間と丸テーブルを囲み、皆、緊張よりも無事にこうしてここにいる安心感で、饒舌になる。
北京の夜をカラフルに彩る光の中をバスは宿泊先のホテルへ誘う。
ガイドの揚(よう)さんが自己紹介から、今後の予定、注意すること、目に飛び込む大都会北京の今昔物語まで、流暢な日本語で説明してくれる。
私は母と一番前の席に座り、揚さんの説明の合間を縫って、街路樹やビル群に関する質問をひっきりなしにした。
ほとんどの人はたぶん疲れて居眠りをしていたのに・・・。
ホテルは、鴻坤国際大飯店(HUNKUN INTERNATIONAL HOTEL)なんて読むんだか結局最後までわからなかった。
他のツアー仲間は、友だち、親子(母娘・母息子)夫婦とほとんどが二人連れ、うちだけが唯一の三人だったので、部屋もツインルームにエキストラベットを入れた広い豪華な部屋だった。
ピクチャーウインドウから移るのは、キラキラと夜空に輝く大都会北京の一部を切り取った絶景。 
バスルームは、ガラス張りのシャワールームまであり、洗面台もバスタブも広く、ポツンとあるトイレとストックもなく半分くらいしかないペーパーが不似合いで、ゴージャスなのにプアーな不思議空間。
寝巻(バスローブ)が二つしかなく、フロントに身振り手振り、絵でやっと持ってきてもらったり(英語もあまり通じないという中国色豊かなホテルだった)のおまけもあった。
セミダブルはたっぷりある心地よいベッドでまずは、初日の夜をほぼ快適に、数えきれないエピソードと共に、異国の地で眠りについた。
朝はまだ暗い5時に起床。
窓からの大都会北京の朝焼けを見ながら出かける準備を整え、いざ食堂へと降りようとエレベーターの前に行くが、3機のうち1機しか動いておらず、当然上の階から降りてくる人で満員。
結局12階で待っていた人(たぶん以下の階全ては)階段で降りることになった。
エレベーターの点検以来のまさかの12階降り! 
しかも、6時10分からのはずの食堂は10分ほどでほぼ満員状態。
母の席はやっと確保したものの、私たち二人は立ち食いバイキングとなった。
(いつ終わるとも予想のつかない中国旅行記は次回へ続く)