-老いるということ-
親戚に85歳の老夫婦がいる。
二人は結婚してからずっと同じ家に住んでいる。
子育てもとっくに済んで、20年も前に93歳のお姑さんも見送り、それからずっと二人で静かに暮らしている。

そのおじちゃんが病気になった。
不治の病だ。
ここ一年、足の具合が悪く歩くのが難しそうで、腰の悪いおばちゃんの世話を結構していて、車で病院の送り迎えをしたり、家事も二人で協力してこなしてきた。
その車の免許も、もう自信がないと言って流してしまった。
そして、おじちゃんはもう手術できない病気になってしまった。
先生からは命の期限も家族に伝えられた。
本人には告知しないで、化学療法で治療することになった。
娘さんが介護休暇をとって付きっ切りで看病した。
おじちゃんは、「なんでポリープで放射線かけるんじゃろうか?」と不思議そうに呟きながら、それでもその先の事は聞こうとしない。
そして、奇跡が起こった。
2クールの治療後の検査ですっかりきれいに消えていたのだ。
しかも、副作用が少なく食欲も出てきて、おじちゃんはすっかり元気になった。
2ヵ月後に退院して、おばちゃんと娘さんと妹と温泉旅行に行ってきた。
なんで、おじちゃんがそんな驚異の快復をしたかというと、私は「安心」がそうさせたと思う。
二人の今後を思うと、だんだん老いて、今までできたことが出来なくなっていくことが不安だったんだと思う。
不安が病気を作ってしまった。
そして、病気になったことで、今度はその不安がなくなった。
いざとなったら、娘に頼ってもいいということがわかったからだ。
温泉でゆったりとした時間の中で二人はつくづく語り合ったという。
「今まで、よう子育てやらおばあさんの面倒やら見てくれたのー」
「えぇえぇ、おじいさんも今までいろいろありがとう」
そんな会話を初めてしたらしい。
そのころからおばちゃんの様子が少しおかしくなった。
ぼーとすることが増えてきて、口数が少なくなり物忘れも激しくなり、覇気がない。
周りが心配しだした。
老いるってなんだろう?
周りは自分にかかる負荷を思い心配するけど、本人にとって本当にそれは悪いことなんだろうか?
見ていて、私は安らぎさえ感じることもある。
何も拘らない。
何も欲しない。
静かな静かな時間の流れの中に、ただ流れに身を任せている状態。
ゆらゆらと気持ち良さそうに・・・・。
全てを終えて、終焉を迎える前に、神様がくれた有給休暇みたいなものかもしれない。
それでもまだ必要としている人がいる。
その声で、また退職せずに嘱託として残ってくれることもある。
おばちゃんはどうするかな?
この前、少し目に光がもどって、まだ必要とされていることをわかってくれたみたいだったから・・・。