中国・北京旅行−4(やっと最終章)



たった三泊四日(観光に関しては中二日間)なのに、初めての海外旅行とあって、書くことがやたら多くなってしまった。
途中からエンドレスになるんじゃないかと思いながらやっと最終章を迎えることが出来ました。
クライマックスは天安門から故宮(紫禁城)を一気に歩き、最後に辿った道を一望できる景山公園の万春亭。
バスから降りて、「歩き始めたら途中で引き返せないコース」と脅かされながら、大勢の観光客に交じり両側を土産物や料理屋で囲まれたメインストリートをきょろきょろしながら、ひたすら揚さんの後ろ姿を見失わないように着いて歩く。
王府井(ワンフーチン)は、日本なら銀座のような場所で、最近は北京の観光スポットで人気の場所になっている。
奥行きはまだ開発中だが、この場所が世界最大のショッピング街になるのもそう遠くないだろう。
もっと奥には胡同(ふーとん)という北京の昔の街並みがまだ残っている観光地がある。
以前、「胡同の理髪師」という映画の舞台になった場所で、個人的には故宮よりもこの場所に興味があった。映画で描かれていたように、北京オリンピックのために開発地域となり、情緒ある古い家並みもだいぶ壊されてしまったらしい。
毛沢東の写真がだんだんと近づいてくる。
1949年10月1日、天安門の檀上から中華人民共和国の建国を高らかに宣言したその日から、彼はこの国の最も尊敬すべき英雄となる。
中国の人は、北京に来たらまずこの場所へ訪れるそうだ。
中国の貨幣「元」は、全て毛沢東の肖像が描かれている(もうたくさん、と言いたくなるくらい・・・(汗)
広すぎるこの広場のあちらこちらで毛沢東の写真を入れて記念撮影が行われている。
ここで、初めて私たちツアーの集合写真が撮られ、2000円で一冊の観光ブックとして注文販売された。(もちろんほとんどの人が購入)

青い空、沢山の人、その場所には似合わない軍服の兵隊、平和と脅威と多民族と中国人がこうして共存している様を10年前までは誰も想像できなかったに違いない。
ただ、不思議なことに無邪気な笑顔がそこにはあまりなく、前へ前へと家族単位で一心不乱に進んでいる、その足音が聞こえてくるような場所だ。
門をくぐって、いよいよ故宮の午門から故宮王道ルートをひたすら東に進む。
巨大な門と伝統的な宮殿の繰り返しの王道ルートをとにかく義務のように歩いて通り過ぎた。
故宮に行ったというより、故宮を通り抜けただけの観光ルートなのだが、中国の巨大さだけは充分に実感できる。
とにかく堪能しようと思えば、緻密な計画と日数と体力(あるいは財力も)がいるのだ。
日本の博物館で、「故宮博物館の宝展」を見たほうが手っ取り早いのかもしれない。
今思い返しても、歩きにくかった石畳、どの場所にも大勢の人、煉瓦色の壁と黄土色の屋根瓦、見失わないように必死に探した揚さんの後ろ姿しか覚えていない。
いよいよ景山公園へ辿り着き、母は何度も訪れているという一緒のツアーのご夫婦と一緒に入り口付近の店で待つことになり、ちょっと安心して頂上へ登ることにした。
意外に近かった最後の地は、故宮の周りのお堀を作る時に出た土で作った山であることにまず驚き、その頂上から眺められる故宮の全景は、映画のセットのような緻密さで、建物の配置、色彩、バランスと全てにおいて圧倒されるものだった。
ここをひたすら歩いてきた自分たちの足跡にも感激した。
最後の夕食である四川料理を「辛い!辛い!」と堪能し、オプションの京劇を観て、全ての観光日程を終えた。
帰国の朝、早朝のため朝食はバスの中でホテルが用意してくれたサンドイッチとゆで卵を食べ、ツアー仲間で相談して集めた心ばかりのお金と感謝の言葉を揚さんに渡し、北京空港へ着く。
朝6時過ぎにも関わらず、大勢の人で賑わう空港で、最後の最後まで中国の民族性をうかがい知る出来ごとに遭遇する。
経済大国であっても、まだ発展途上であると感じてしまうのは、おもてなしという他人を思いやる気持ちが欠けていると何度も思ったからだろう。
ホテルの待遇も、見物人のマナーも、いろいろな場所でいろいろな人を通して感じた事がそれだった。
でも、ガイドの揚さんが私たちにとってはこの旅行で一番触れ合った中国人で、誠実に仕事をこなす姿、表情は硬いがユーモアのある会話、きめ細やかな優しさ、どれをとっても彼はプロフェッショナルなガイドだったと思う。
住みたくはないけど、やっぱりまた訪れたいと思った中国。
きっと次回はまた違う顔を見せてくれるのだろう。
それが、失望ではなく憧憬であり、「住みたい場所」としてあげられるような発展を、国も人もまるごと遂げて欲しいと心から願った。 )