私的文化の日

市民劇場定例会である観劇に加えて、久しぶり行きたいなと思った福山シネマモードの映画鑑賞後の茶話会が重なった。
行ったり来たりになるけれど、時間的にはジグソーパズルのようにきっちりとハマるので、この日は、贅沢な文化の日にすることを決めた。
いつもより早めに起床し、お弁当を作るついでに昼食用におむすびを三つ握り、コーヒーをマグポットに入れ、厚着をして8時過ぎに福山に向かって出発。
道路は珍しいほど空いていて、車の中で聴く軽快な音楽に合わせ一緒に口ずさむ♪♪♪。
9時過ぎには到着し、朝食の代わりに早速おむすびを頬張りながら、チケット販売時間まで読書タイム。
チケットを購入し、溜まっていたポイントでキャラメルポップコーンを買い、トイレを済まして準備万端、席に座る。

ラビット・ホール(ジョン・キャメロンミッチェル監督・ニコール・キッドマン主演)
幼い子供を突然の事故で失った夫婦のそれぞれの悲しみと、それを乗り越えるべく葛藤する二人の姿を丁寧に描いている。
上映後の茶話会では、女性5人と男性2人(支配人含む)でそれぞれの感想と、疑問点を語り合いながら、細かい内容について掘り下げた意見交換が行われた。
同じことが起こっても悲しみはそれぞれに異なり、乗り越え方も時期も違う。
特に子どもを失うという、親にとって最も悲劇的な事態に一人で乗り越えるにはあまりにも辛く、出口はなかなか見つからない。かといって悲しみを共有出来ない夫婦の溝は深まるばかり。大きな喪失感は思いがけないエゴを生みだす。
妻の母が大きな悲しみを岩にたとえて、「忘れることはないけれどいつか小さな石になる日がくる」という言葉が印象的だった。
15分の空き時間に、残りのおむすびとポップコーンをパクパク食べて、次の映画「50/50」(フィフティフィフティ)を観る。
50/50 (ジョナサン・レヴィン監督・ジョセフ・ゴードン=レヴィット主演)
仕事も恋愛も順調だった27歳の青年アダムに、突然ガンの宣告。5年後の生存確率は50%と言われ、治療を受けながら、セラピーにも通う日々を、ユーモラスに描く。
難病というシリアスな内容にも関わらず、全般ユーモアに溢れている。女の子と楽しいことをすることで頭がいっぱいな悪友の存在がそうさせているのだが、時にはホロっとさせられるシーンもあり、どん底の状態になって初めて見えてくる本質が、鑑賞後にもいい余韻となり湧き上がってくる上質な映画だった。

3時前に終了し、復路は、時々小雪のちらつく道だったが、わりと順調に予定時刻に帰宅。
夕食の準備を簡単にして、しょうが湯をマグポットに入れて尾道へ出発。
アンナ・カレーニナ(トルストイ原作・栗原小巻主演(俳優座)
かの有名なトルストイの名作だが、高校生の頃読んだかもしれない程度の知識だったので、新鮮に観ることができた。
が、ひとことで言ってしまえば、美しい人妻と、彼女に一目惚れしてお金持ちの将校が、猛アタックの末、2人の恋は成就したものの、中途半端な駆け落ちと、自殺未遂、劇中の人物誰一人にも、感情移入出来ないタイプの内容だった。
しかしこれは、原作がそうなのであって、ロシア文学の金字塔である原作の戯曲なのだから、現代人に受け入れられなくても当然と言えば当然。
15分の休憩を含んで2時間50分の長丁場だったが、実際はあっと言う間に感じられた。
俳優(特に主演の栗原小巻)の熱演や、舞台のライブ感は、そこに文化の香りが漂い独特の雰囲気を味わせてくれる。
何も学べなくても、感動が無くても、その時代の雰囲気や、俳優の演技の上手さ、舞台装置や劇中使われる音楽効果など、その空間の総合芸術に浸った気分になった。
果たして、私は観劇が好きかと問われれば、それほどでもないと答えるだろうけど、文化とは、触れて、何かを感じれば(あの時代に生まれなくて良かったとでも・・・)それでいいのだとあらためて思った。
こうして、めったにない豪華三本立て(茶話会を入れたら四本立て)の文化的一日が過ぎた。
なにが一番印象に残ったかと言うと、「ラビット・ホール」の茶話会で、感想を言おうとすると泣いてしまって言葉にならなかった女性のことで、その理由やら人となりにとっても深い興味が湧いた。