映画に見るセクシャルマイノリティ
※ セクシャルマイノリティ=性的少数者(同性愛者・両性愛者・性同一性障害など)

先日、久しぶりに福山シネマモードの企画映画会に参加した。
なんと、「ぐるりのこと。」「ハッシュ!」の監督橋口亮輔氏が来館して、「ハッシュ!」の上映後、企画した福山大学の学生と共にティーチイン! という贅沢な映画会だ。
橋口監督は、1993年「二十才の微熱」で注目を浴び、この映画がゲイの恋愛映画だったこともあって、インタビューに素直に答えたことから、自らもゲイであるとカミングアウトした。
その後、無名の浜崎あゆみ主演による「渚のシンドバット」(1995)「ハッシュ!」(2001)と、国内外で高い評価を受けていたが、突然うつ病になり、闘病中は映画製作から離れていた。完治後はその体験を生かし、うつ病の妻と法廷画家の夫婦の10年の歳月を当時の社会問題を背景に描いた「ぐるりのこと。」(2008)を公開し、多くの賞を受賞し、興行的にもヒットとなった。


「ハッシュ!」は私も大好きな映画で、DVDで何度も観ていたが、若い感性がこの映画をどうとらえるのかと、興味深々だった。

あらすじ 直也と勝裕は、付き合い始めて間もないカップル。勝裕は自らがゲイであるとカミングアウトはしておらず、そんな自分を卑下していたりもする。ある時、奔放な女性・朝子に出会い、精子の提供を求められたことをきっかけに、3人の関係は新たな可能性へと向っていく。

映画は、主人公3人を中心に、恋愛・友情・家族と盛り沢山の内容だ。観賞後の橋口監督の話でも、この映画は「家族の話」と力強く語られた。
家族とは、親子が核になっていることは周知の事実だ。
ゲイやレズのカップルには当然子どもが授からない。海外では養子をもらって、血の繋がらない家族になり、様々な問題もあろうが、少数派であっても、徐々に社会的にも認知されてきている。オランダに至っては、人口の25%がセクシャルマイノリティであるという話に、驚かされた。
25%という数字はもはや、マイノリティとは言えないだろう。
ティーチインは、橋口監督に、主催の大学生代表の二人が質問し、監督がそれに答えるという形式であったので、意外性のある質問はあまりなく、さし障りのない質問が多く、少し期待外れではあったが、日本ではまだ認知度の低い、セクシャルマイノリティの成功例の象徴のような橋口監督から出た、差別された経験だとか、自分自身の家族に対しての「あまり思い入れはない」というクールな発言には、「ああ、この人は飾らない正直な人だなぁ」と思い、だからこそ、自分の経験の中から映画を生みだしてきた人なんだ、と納得もした。
私は、マイノリティ好きな人間で、私自身は経験不足で、知ったかぶりしかできないのが歯がゆくもあるが、映画の世界で疑似体験することも好きだ。
古くは「ベニスに死す」「モーリス」「トーチソング・トリロジー」、新しいものでは「キッズ・オールライト」と、洋画では名作ぞろいで、「まぼろし」「ぼくを葬る」のフランソワ・オゾン(フランス)、「ヘドウィグ・アンド・アングリーチンチ」のジョン・キャメロン・ミッチェル(アメリカ)など、大好きな監督が多い
時には美しく、切なく、時にはユーモラスにシニカルに、恋愛事情を印象深く描いている。
セクシャルマイノリティものに共通して言えることは、その恋愛が危ういということと、認知されないことで思いが募るということ。
とにかく、秘密めいたものほどわくわくどきどきするし、そこに打算のない純粋な愛を見てしまうのだ。
それでも、子どもという鎹(かすがい)のない家族は壊れやすい事も事実だ。
「ハッシュ!」にも、そんな不安が母親からも、本人からも何度となく語られる。
考えれば、家族がその形をずっと永遠に続けることは無理なことだ。
子どもは成長したら独立するし、親は先に年をとって、いずれあの世に帰る。
それでも愛の形はいろいろあってもいいと思う。
マイノリティというより、私は個性だと言いたい。
人がみな、相手の個性を認めることが出来たら、いじめや争いなんて生まれない。
穏やかな橋口監督が初めて怒りをあらわにした、公衆の面前で監督を馬鹿にしたどっかのお偉いさんに、真っ先にそう言いたい 。