村上春樹について。

今年も、ノーベル文学賞を逃してしまった村上春樹のことを少し書いてみようと思う。
村上作品で、最初に読んだのは「ノルウェイの森」。
ビートルズ好きだったので、そのタイトルに惹かれて。
赤(上巻)緑(下巻)のしゃれた装丁に惹かれて。
ハルキストという人たちがいるという不思議な現象に惹かれて。
そんな理由が重なりあって、その本を手に取った記憶もあるが、ただ単に、その頃の流行りに踊らされたのかもしれない。


「ノルウェイの森」は面白かった。
やたらとモテる主人公のワタナベにも、ワタナベと恋愛関係になる不思議な直子にも、直子の対極にいる緑ちゃんにも、レイコさんにも、数多い登場人物の誰にも感情移入は出来なかったけど、違和感も、嫌悪感もなく、淡々と一気に読み終えた記憶がある。
そして、奇しくも、この本の良さがわかるのは、何年も先の、私がもっとたくさん本を読み、映画を観た後のことになる。
私は決して、ハルキストではないが、この本をきっかけに「ノルウェイの森」以前の春樹作品を読破し、それ以降新作長編が出るたびに、一応手元に置くことになる。
好きだったのは「スプートニクの恋人」と「海辺のカフカ」で、特に「海辺のカフカ」(2002年)を読んだ後は、やたらと「メタファー」という言葉が私の頭をぐるぐると回った。
この本によって、頭の中にあるものの実在性について、言葉以外で表現出来ない感覚を言葉で表現してしまうことの不思議について、初めて深く考えさせられた。
(もちろん、「メタファー」の真骨頂は「ダンス・ダンス・ダンス」や「ねじまき鳥クロニクル」なんだろうけど、この二冊は途中でリタイアしてしまった。)
そんなことを感じた自分が何故か誇らしくもあった。
それは今まで好きじゃないと思っていた服をちょっと着てみたら、意外に似合うじゃないと、少し嬉しくなった時みたいな気持にも似ていた。
それなのに、「1Q84」もBOOK1〜3まで買っているにも関わらず、結局まだ読破していない。
私にとって「村上春樹」はどういうポジションにいるのだろうか?
デビュー当時からずっと読んでいる吉田修一とも違うし、中村文則や絲山秋子や最近好きな百田尚樹とも違う。
曖昧に影響を受けたと言ってみたり、途中で投げ出したり、そういうことを平気で語れる存在なのか。
好きじゃなくても、わからなくても、読んだことにしたい存在なのか、知らないことを恥と思ってしまう存在なのか、ただミーハー心をくすぐる存在なのか、未だわからない。
もしかしたら、村上春樹はファッションなのかもしれない。
というか、村上春樹に限らず、好きな作家は自分にとってはファッションなのかもしれない。
絵画もそうかもしれないし、嗜好はそもそもそういうことかもしれない。
村上春樹のポジションを考える時、好き嫌い以前にもっと大きなジャンルとしてとらえてしまう。
それほど、私にとって、日本人にとって、村上春樹は、想像以上に偉大な存在であるのかもしれない。
一小説家ではなく、日本の文化なのかもしれない。

※??? メタファー=隠喩のことで、「〜のようだ」と形式だけではわからない比喩。