想い出(この世に産まれて)

最近やたらと昔のことを思う。
昔といっても10年ひと昔というくくりではなく、思い出と言えるものさえ浮かばない昔、おとぎ話のように母に聞いた自分のことだ。
その話とアルバムの写真が、いつしか合体し、私の中で自分の思い出になっている。
私は、母の胎内の居心地が良かったのか、1ヶ月ほど遅れて産まれた。
母は若い頃は痩せていて体が弱く、兄は未熟児で産まれている。
私の時も、母体が出産に耐えられる保証はないから産まない方がいいと医者に言われ、堕ろす日も決まっていた。
出産は、母親が我が子のためにする、最初の命懸けの愛だ。
母は、お腹の子が女の子だと思い、どうしても産みたかったそうで、母の体を心配して山口から手伝いに来てくれた祖母に相談し、祖母が堕ろす日に、「風邪をひいているので今日は行けません」と医者に電話をしてくれた。
母の強い意思と祖母の機転によって、私はこの世に産まれることが出来た。
手のかからない、いつもにこにこと笑っている元気な赤ちゃんだった。
母曰く、我が家の歴史で一番幸せな時期が、私が母のお腹にいた頃から産まれて間もない頃だったらしい。
父はマラソンの選手で、精悍な顔にしまった身体で、いかにも誠実そうな青年。
三輪車に乗っている兄は、利発で愛想のいい誰にでも可愛がられる男の子。
自分の身体より大きなキューピー人形を抱いている私は、よく男の子に間違えられた。
歳の離れた従姉妹や近所のおばさんに抱っこされにこにこしている。
そんな昭和の貧しくても幸せそうな家族の写真が、我が家のアルバムに何枚も貼ってある。
それは、かつてそうだったという証拠にほかならない。
具体的な記憶はなくても、それが私の幸せな乳幼児の記録だ。
半年も経った頃、母が私の足の異変に気がつく。
オムツ交換の時、足を開こうとするとちょっと硬い気がしたらしい。
保健婦さんに相談したところ、「よく気がついたね、病院に行ったほうがいいかもしれない」と言われ、嫌な予感がしたのか、大きな病院へ行った。
診断は、股関節脱臼。
ほおっておくと、成長する過程で分かるときは手遅れになるかもしれない難病だ。
保険のきかない注射を打ってもらいに、列車に乗って病院に通う日々が3ヶ月続いた。
赤ちゃんの足にコルセットは、傍目に見ても痛々しく、か細い声でぴぃぴぃと泣く私が不憫で、母は毎日指定席の切符を買って病院に通った。
治療費も、交通費も、母がほかの兄弟には内緒で、祖母にいつか家を建てる時の足しにしなさいともらったお金を当てた。
兄も3ヶ月、福島の伯母さん(父の姉)に預けられた。
その甲斐あって、私の足はその後なんの問題もなく、むしろ他の子よりも元気すぎるくらいに回復した。
時々、私はこの話を母から聞いていたので、山口に住んでいて遠かったので、その後1度しか会えなかった祖母にも、恩を感じていて、小学校の時に、刺繍入りの枕カバーを祖母のために作り、祖母は送られてから亡くなるまでの6年間、ずっと使ってくれていたそうだ。
私がこうして、元気にこの年まで生きているということは、月並みだけど、たくさんの人に支えられている証拠にほかならない。


特に自分の意思ではなく、周りの手助けなしでは生きていけなかったであろう幼児期のころに思いを馳せると、深く重く熱い思いがこみ上げる。
ここに、先日母に渡された「母子手帳」がある。
桃色の表紙に白抜きのコウノトリが赤ちゃんの入っている袋をくわえている。
3700グラム、52.5センチ、花子さんという産婆さんに取り上げられた。
私は私の意思で、父と母の娘で産まれた。
二つ上の兄がいる、四人家族の小さな家庭で育った。
その全てが、私の強い意思だったのかもしれない。
最近、本当に、そう思う。
そう思って、そんな過去の全てがやたらと愛おしくなる。