三原に吹く風 

 

-ありがとう-

 

いつか出会ったことがあるような

胸ときめく記憶

清々しい興奮の心

さらに 光り輝く

純真の値打ち

溌剌の少年たちを見て

だらけた大人たちは身震いする

ありがとう

 

 

 


白とエビ茶のユニホームの

凛とした少年たち

早稲田実業は夏が似合う

甲子園が似合う

一瞬の雨が上がって

弱々しいながらも陽がさして

そこへ君たちが登場した時

ユニホームは白く

ほんものよりさらに白く光り

人々は甲子園の風景として

はるかな昔を想い出し

今また新しく

強烈な一景を

心にプリントしたのだ

少年は甲子園で何を探すのか

甲子園を入口にして

どこへ向かうのか

その先で何を掴むのか

夢か 希望か 志か 決意か

それを知りたくて

大人たちは夏に甲子園を見る

自分の中ですでに枯れたものも

少年の姿を見ることによって

青々とよみがえる

今日はその日だった

ありがとう

 

 


2007年8月1日、高校球児たちがそれぞれの激闘の末にようやく勝ち取った切符を握りしめて甲子園に向かう頃、そんな彼らたちを愛して止まなかった日本を代表する作詞家であり、作家でもある阿久悠氏が70歳の生涯の幕をひっそりと降ろした。

 

昨日の報道ステーションで速報として伝えられ、その最後の部分で、古館さんの一言からこの詩の存在を知った。

そして「阿久悠オフィシャルホームページ「あんでぱんだん」というHPに掲載されていたのを発見して全ての詩を読んだ。

 

彼の詩は歌謡曲でしか知らず、とっても非凡な意外性のあるイメージの豊富な人だなぁ・・・という印象だった。

それでも、歌謡曲というジャンルの中だったので、深い興味はなかったと思う。

彼の絶頂期には、まだ私は子どもだっだから、その味わい深い詩の意味はわからなかった。

そして、今充分大人になった自分がしみじみ彼の詩に触れてみると、実に情緒のある、しゃれっ気のある、いい詩を書いている事に驚かされる。

そして、この甲子園の詩は、1999年よりスタートしたスポニチに連載された彼の甲子園観戦記のかわりだ。

 

彼の「歌謡曲の詩」にみる大人の部分と、この「甲子園の詩」にみるそれでは、明らかに違う印象がある。

好きなものを見て、素直に感動する熱い気持がこちらにもダイレクトに伝わってくる。

流行とか売れるとかそういうなんの工夫もない、ただただ野球が好きで好きでたまらないという真直ぐな気持だ。

 

彼は、観戦した試合の詩の中に「ありがとう」の気持をいつも残す。

直接的な言葉は最初の詩の中にあったが、いろんな表現で、炎天下のグランドで繰り広げられる激的な試合でも、平凡な試合でも、彼はいくつもの「ありがとう」を見つけて、それを言葉にしている。

 

いなくなって初めて知る事は多い。

そして、もう少し早く知りたかったと後悔したりする。

この阿久悠氏のこともきっとそう思うに違いない。

甲子園が始まり、目頭を熱くする試合を見るときっとこの詩を思い出すだろう。

この詩とともに、彼のことを思い出すかもしれない。

 

「残す」ということはこういうことなのだろう。

 

彼が「ありがとう」の気持を残したように、もうひとつの「ありがとう」を彼の残した詩に捧げたいと思う。