北アルプス登山記(その2)
2日目の宿泊地である西岳山荘でひとつの事件に遭遇する。
「ど、どうしたんです!?」
「は、はい・・・」
驚きと戸惑いの声が交互にベットで休んでいた耳に飛び込んできた。
傍に行かずにそのまま聞いていると、なんでもここの山荘で昼休憩をとり今日中に槍ヶ岳山荘まで行こうとしていた途中で、滑って転んだらしい。
頭から血がかなり出たらしく、顔の半分は血だらけ。
そして、手の指も骨折したらしい。
「よく、一人でもどってこれたなぁ・・・」
感心している一方で、厄介なことになったなという気持がなんとなくその会話で伝わる。
生憎、転倒した登山者は登山保険に入っておらず、単独でもあり、これからどうするか・・・という現実的な相談をしている。
怪我をしている場所が頭だけに、山荘の人も一刻も早く下山するように勧めているが、ヘリコプターの出動は60万円前後かかるとのことで、登山者自身も最初は迷っていたようだ。
結局、天候を見てヘリコプターの出動待ちという結論になった。
そのあと「お医者さんか看護師さんいませんか?」と山荘の人が他の登山客に聞いていたが、みんな遠巻きに見守ることしかできなかった。
何か役に立つものはないかと探したが、「冷えぴた」と、行動食くらいしか差し入れするものもなく、足が攣るというので、岩塩を少しあげた。
年齢も同年代。
装備やその健脚からかなりのベテランと思われた。
結局彼は2時間後にヘリコプターに運ばれていった。
実は登山口で保険に入ろうと言っていたのだけど、なんとなく入口に人がいなかったこともあり、そのまま登り始めてしまった。
この事件に遭遇したことで、登山の怖さを思い知ることになる。
単独の怖さ、備えの重要性、降りの危険性について、あらためて考えるきっかけとなった。
その夜、山の雷光を見る。
稲光が上から下に、右から左に間髪いれずに光リ続けている。
音のない、一色だけの花火のようだった。
外には出ずに、山荘の小さな窓越しにその光をずっと見ていた。
山の自然の贈り物を楽しんで歓声を上げている登山者。
そして、怪我をして、目的も達成できずに多額のお金を使い運ばれていった登山者。
立場が入れ替わっても不思議のないと思い、怪我をした登山者に同情する一方で、自分じゃないことにほっとしていたりする自分にひやっとした。
あの稲光は何かを伝えたかったのかもしれないなぁ・・・。
今、あの稲光を思い出すと、確かにそう思う。
翌日は4時起床、朝食を済ませるとすぐに支度をして出発する。
いよいよ槍ヶ岳に一歩ずつ近づく日が来た。
水俣のっこしまではひたすら足場の悪いゴロ岩の道を慎重に下る。
今日はストックも邪魔になるので、四足歩行(本当は3点確保)のつもりで、ゆっくり降りることにした。
鞍部に着くと、下に「槍沢」横に「槍ヶ岳」の標識があり、軽く武者震いをする。
ここからがいよいよ「東鎌尾根」で、急な梯子や鎖場をこなしながらいわゆる「槍にとりついていく」のだ。
天気予報は見事に外れ、今日も快晴。
取り付き始めから「槍ヶ岳」はずっと見守ってくれる。
30分おきくらいに展望のいい場所に出て、そこで休憩しながら、どんどんせまる槍ヶ岳をめいっぱい堪能する。
これ以上ないくらいの青空。
体はいっぱいいっぱいなんだろうけど、疲労感のない充実感なんかつまらないな。
そんな余裕も生まれてきた。
あまりすれ違う人もいないし、静寂の中淡々と登っていくと、槍ヶ岳が見えなければ里山を歩いているのとなんら変わらない気もしてくる。
槍ヶ岳山荘が見えてからは、上にはその全容がわかる猛々しい槍の姿、左下にはお花畑を見ながら極楽気分でゴールを目指す。
荷物を置いて、いよいよその山頂に立つ時が来た。
思ったより簡単で、思ったよりスリルがあった。
一歩間違えれば転落して、即死だな。
と思いながらみんな細心の注意を払いながら登っていく。
最後は垂直の梯子を上がるとひょっこり山頂に出る。
なんだか本当に呆気なく、何かに出くわすといった感じでその瞬間は急にくる。
あまり登山者が多くなかったので、ずいぶんのんびりと山頂を堪能した。
ここまでの道のりを全て見ることの出来る3180メートルの槍ヶ岳山頂。
そして、ここはゴールではあるけど、留まれないゴールだ。
だから、ゴールではないことにやがて気がつく。
単独で登山を楽しんでいる爽やかな青年や、お忍びで楽しんでいる健脚の校長先生との楽しい会話も山荘で楽しむ。
翌日は、22キロの道のりをひたすら上高地に向かって降りる。
途中足を滑らせて頭から転倒した。
腕を少し擦りむいただけで何の支障もなかったが、かなりひどい格好で転んだらしい。
運動神経がいいのか?
運がいいのか・・・?
明神池に寄る余裕もなく、ボロボロになって上高地バスターミナルに到着する。
バスと電車とタクシーを乗り継いで、車を置いてあった出発場所の穂高温泉に着いたのは7時を過ぎていた。
3日ぶりに日帰り温泉でお風呂に入り、さっぱりしてそのまま高速に乗り8時間後に無事帰宅する。
そして今、来年の計画をもう考えている。
過ぎてしまえば、辛かった道程より、達成した感動しか残らない。
辛かった思いは疲労の快復とともに薄くなり、感動は写真を見たり話をしたりするたびに再び甦る。
その感動もだんだんに薄れていくのだろうけど、消えうせることはない。
その上に、いくつも重なっていくだけなのだろう。