ランナー

 

マラソンランナー野口みずきは地味な選手だ。

 

アテネ五輪で優勝候補のラドクリフやヌデレバを退け、圧倒的な強さで金メダルを獲得したものの、その後マスコミに登場する機会は少なく、たんたんといちアスリートとしての競技生活を送っていた。

2005年にベルリンマラソンで2時間19分12秒の大会新記録で優勝したときには、北京オリンピックの内定を出してもいいという打診があったらしいが、彼女は「北京の時に、自分がどのような調子なのかわからないので、選考レースに出場して決めたい」と語ったという。

その真面目さはほかに類をみない。

 

「走った距離は裏切らない」という言葉を胸に、毎日約40キロのランニング練習をその後もこなしていた。

 

18日に北京オリンピックの女子マラソン代表選考レースである東京国際マラソンに出走した野口は、「出走前はとても怖かった」とレース後語っている。

ハーフマラソンでは結果を出していたが、フルマラソンでは2年2ヶ月ぶりのエントリーとなり、ライバルたちの好調さを聞いていたからだ。

マラソンは己に勝つことが最大の勝利の鍵となる。

30km手前で代表候補のライバル渋井選手を引き離し、一番つらい35kmから5km続く急な上り坂を、彼女は勝負をかけて自分自身の限界と戦いながらスパートして、ケニアの選手を振り切り独走の優勝となった。

走り終わった野口の表情は実に爽やかで、大事をなしえたそれではなく、ほっとした笑顔だった。

 

マラソンは決して見ていて楽しいスポーツではない。

それなのに、一旦見始めると、目をそらすことが出来なくなる。

他人の人生をまさに駆け足で見ている気がする。

辛いことの先には栄光があることはわかっていて、最後にスポットライトを浴びるのはたった一人だ。

そして、戦う相手はライバルだけではなく、天候、温度、あらゆる条件が、自分自身でさえ敵となる。

 

それなのに、野口には悲壮感がない。

かつてのマラソンランナーに見られた悲壮感がないのだ。

高橋尚子にさえ感じられた悲壮感が微塵もない。

それゆえ、野口は地味なのかもしれない。

華が感じられないのかもしれない。

だからといって、野口は決して感動を与えないアスリートではない。

 

アテネオリンピックでの金メダルは高橋尚子が出場できなかったという悲劇がクローズアップされ、優勝が義務づけられた。

意外性のない勝利に感動的という形容詞はつけられなかった。

 

野口が、私たちに本当の感動をもたらすのは、勝っても負けても、次の北京オリンピックでの彼女の走りかもしれない。

彼女が、悲壮感をしょって走っても、いつもと変わらない笑顔で走っても、今までになかった感動をきっと与えてくれるに違いない。