伝えたいこと・・・

 

想い出は個人的なものだけど、郷愁は同じ時代を過ごした人たちが共有できるものだ、という一文を、「ALWAYS・続三丁目の夕日」の特集本で読んで、なるほど・・・と思わず唸った。

そして数日後、楽しみにしていた映画を共有出来る友人と観た。

2年前に観た三丁目の人たちと再会を果たす。

この映画を観る時、私は鈴木オートのお母さんではなく、ましては茶川さんの恋人ではなく、小さな子供になってしまう。

映画の小さなエピソードが実は自分の中にもたくさんあることを思い出しては嬉しくなる。


私が子供時代を過ごした30年代は、健やかで、逞しくて、恵まれた時代だった。

驚きや喜びに溢れ、日本そのものが成長するために、いろんなものを食べ、骨をギシギシ鳴らしながら上に向かって伸びていた時代だった。

団地のベランダにどかんと置かれた冷蔵庫に入れる氷をシャリシャリとノコギリで切る音、酒屋さんの御用聞きの自転車のチリンチリンというベルの音、豆腐屋さんのチャルメラの音、見つけると嬉々として付き纏ったちんどんやの鐘や太鼓の音。

真っ青な空にパタパタと遊ぶアイスキャンディ売りの小さな旗、丸い卓袱台に置かれた手作りドーナツ、だっこちゃんやキューピーやバービー人形を飾ったひな祭り。

何を思い出しても、その光景が音つき色つきで鮮やかに甦る。

30年代をそれぞれの年代で過ごした人のほとんどが自分なりの三丁目を持っている。

 

この映画はとにかくリピーターが多く、封切してまだ2ヶ月もたたないのに4,5回観ている人も少なくない。

そんな不思議な映画もめったにないような気がする。

映画の感想を読んでも泣けてしまう不思議な映画だ。

この映画に中にあるものが、今、なかなか見つけられない時代だから、何度も観たくなるのかもしれない、とふと思った。

子供が大人になって何かを失ってしまうように、時代もまた大人になって、何かを失ってしまったようだ。

それでも、決して大人になることは悪いことじゃない。

大人になってもずっと失いたくないものを、時代ごと大事に持っていけばいいのだと思う。

 

映画のエンドロールに流れる「花の名」はBUMP OF CHICKENというバンドが監督のラブコールに応えて作った唄だ。

彼らはまだ20代後半で、もちろん昭和30年代を知っているわけもない。

そんな彼らがこの映画のために書いてくれた詩をしみじみ読んでみると、決して今という時代が全て失ってしまったわけじゃないことに気づかされる。

 

花の名

 

簡単な事なのに どうして言えないんだろう

言えない事なのに どうして伝わるんだろう

一緒に見た空を忘れても 一緒にいた事は忘れない

あなたが花なら 沢山のそれらと

変わりないのかも知れない

そこからひとつを 選んだ

僕だけに 歌える唄がある

あなただけに 聴こえる唄がある

 

僕がここに在る事は あなたの在った証拠で

僕がここに置く唄は あなたと置いた証拠で

生きる力を借りたから 生きている内に返さなきゃ

涙や笑顔を 忘れた時だけ

思い出して下さい

同じ苦しみに 迷った

あなただけに 歌える唄がある

僕だけに 聴こえる唄がある

皆 会いたい人がいる 皆 待っている人がいる

会いたい人がいるのなら それを待っている人がいる

いつでも

あなたが花なら 沢山のそれらと

変わりないのかも知れない

そこからひとつを 選んだ

僕だけに あなただけに

いつか 涙や笑顔を 忘れた時だけ

思い出して下さい

迷わずひとつを 選んだ

あなただけに 歌える唄がある

僕だけに 聴こえる唄がある

僕だけを 待っている人がいる

あなただけに 会いたい人がいる

 

こんな詩を書く感性が息づいている限り、こういう映画が多くの人に愛される限り、きっと三丁目のような時代を懐かしむだけじゃなく、もう一度取り戻せるんじゃないかと思ったりする。