よく知らなかった有名人

1月19日土曜日、噂の「ポポロ」で広島在住の小説家見延典子氏による「頼山陽と三原」という講演を聞いた。
正直なところ、ご招待券が手元にあったということだけで、「もったいないから行ってみようかな・・・」的な参加だったので、何の期待もしていなかった。
むしろ、2時間の退屈な講演を居眠りせずに聴けるだろうか?
寝不足気味だから後ろの席にこっそり座ろうか。
あんまり空いていたら、前のほうに座らないとかえって目立つだろうか・・・。
などと思いながら、ギリギリにポポロに到着して、ドアを開けた。
開けてびっくり。
たぶん、その時私の口はポカンと開いて、頭の上に『え?これ、ほんま?』と、吹き出しがモワワンと出ていたに違いない。
心配は御無用、迷うことなく席は上段の奥のほうにぽつぽつと空いているだけだった。
相撲場だったら、上から満員御礼の大弾幕が降りていたに違いない。
主催は、商業界三原同友会で、さすがに遅れるのが当たり前のようにもったいつけて始る音楽ライブと違って、14時ジャストに氏の略歴や歓迎の挨拶の後、講演が始まった。

見延氏は、同年代で北海道札幌市に生まれ、高校時代から小説を書き、早稲田大学の卒論で「もう頬づえはつかない」を書いた。
主人公まり子は早大生で、(映画では桃井かおりが演じた)二人の男性の間で揺れ動く愛と性と物語は、当時自伝的小説ではないかという話題性もあり、50万部の大ベストセラーとなる。
結婚以来広島で生活されすっかり同年代の親しみのあるおばちゃんになられた見延氏は、中国新聞に長期にわたって連載された「頼山陽」が三原と深くかかわりがあるということで、こうして今目の前で、講演というより友達に話しかけるような親しみのこもった口調で話し始めた。
作家先生の話は、こんなに面白い本を書くのに・・・。多くの講演会で多くのがっかりを経験してきたが、見延氏の講演は、「頼山陽と三原」のタイトルに忠実に彼の生涯を10代から40代以降に分け、きちんと整理された流れの中で、彼の破天荒な逸話、それに関わる人物の人となり、そして三原との関わりを織り交ぜながら2時間を言う時間があっという間に感じるくらい充実した内容だった。
三原近辺の名所旧跡を訪ねると、ときどき「頼山陽」に出くわす。
ただ漢詩を書く人くらいの知識しかなく、せっかく中国新聞で長い間連載していたのに、新聞小説がじれったくて苦手な私はタダなのに読もうとはせず、もったいないことをしたと思う。
頼山陽は、旅行好きでいろんな場所に出没してその足跡を残している。
それが詳しくわかるのは、父母の日記というのが驚きだった。
父母の日記に記された場所の取材で、彼の足跡が正しく知ることとなり、時代小説でありながら、ほとんど事実として書くことができたそうだ。
父の春水は儒学者で竹原の紺屋で生まれたが学問に勤しみ、山陽に多大な影響を与えている。
春水は書物としては、世に何も残せなかったが、日記という形で息子山陽の生涯を映すことができた。
また、母梅?も58年にわたって生活日記を書き続けており、それも氏による「すっぽらぽんのぽん」という小説で描かれている。
山陽の破天荒な行動や自由な思想はこの母梅?の多大な影響があるようだ。

10分間の休憩の後、山陽の有名な漢詩「川中島」と三原の「西野梅林」を詠んだ「観梅詩」謡われた。

見延氏の夢は「頼山陽」の足跡を記した全国マップを作ることらしい。
そして願わくはNHKの大河ドラマにいつの日か「頼山陽」が主役となり、脚光を浴びる日を願っているそうだ。
その波乱万丈な人生は、大河ドラマにぴったりなのだが、いかんせんお堅いNHKのおえらいさんたちには、どうもあくまでも歴史上の有名人に拘るらしい。
何度も繰り返し、秀吉や家康の生涯を観るのはもう飽きた。
見延氏の「頼山陽を大河ドラマにする会」に私も是非入会したいものだ。

最後に、質問コーナーを設けて氏に3人の人がそれぞれ専門的なことを質問したが、途中で席を立つ人が多く、恥ずかしかった。
せっかく大勢の人が集まって、きっと三原にいい印象があったに違いない見延氏に最後まで、いい気持ちで帰って欲しかった。

大勢の拍手で迎えた人を、それ以上の拍手で見送りたいものだ。