もうひとつの道

先日、偶然知り合った友だちが2年間の三原生活に終止符を打って、関東の実家に帰っていった。
彼女が、三原に住むことになった理由は実にユニークで、とにかく一度独立をして家族を見つめなおすためだった。
この2年間は、彼女にとって寂しかったり、生活が苦しかったりしたけどそれより圧倒的に楽しかったことが多かったようだ。
家族への気持ちも整理もついて、いい関係になったと喜んでいた。
なので、初めて会ったときより、素敵な笑顔を残して彼女は帰って行った。

そういう彼女を見て、とっても自由を感じた。
本来、何をしても結局自分で選択して行動するのだから、自由なはずなのだけど、その自由さを実感できるかどうかと言うと、なかなかそうはいかない。
どうしても、自分の行動の選択肢には、周りの人たちが絡んでくる。

家族、そして友だちさえも。

結婚という形態は、その象徴的なもので、結婚した段階で誰もが自分が自由ではなくなったような気がする。
私もそう思った。
よく「結婚は、安定と引き換えに自由を手放す」と言われるけど、そんな感じもする。

それでも、幸福感があればいいのだと思う。

ただ、もし、本当にいつまでも自分が自分のしたいことを常にできる状況にあるとしたら・・・。
そんなことを考えてみる。

行きたい所にいつでも行けるし、やりたいことを何の躊躇もなく実行できる。

「こうしたら、誰かに迷惑かかるかな?」
「反対されるかな?」
「困る人はいるかな?」

そういうことも思わずに(思ったとしても)自分がしたいことに進めるということ。
それくらい自由を感じることはないだろう。

もちろん、経済的にも独立しなければならないし、責任も生じてくる。
それでも、「自由」という言葉には憧れる。

今を後悔しているわけじゃなく、もう一つの生き方としてそういう生き方もきっと出来たような気がする。
だとしたら、私はどういう風に生きていただろうか?

やりたいことがないまま、ずっとそれを探して生きているか。
見つけたやりたいことにまっしぐらに邁進するような生き方をしていたか。
結局、独りの寂しさに耐えきれずに、誰かに依存して生きる道を選ぶのか。

具体的に思いつかないまま、何となくぼんやりともう一つの生き方について考えてみる。

でも、結局私は「どっちでもいいな」と思う。

「しても後悔」
「しなくても後悔」

ではなくて、

「こうしても幸せ」
「このままでも幸せ」

そう思うことが出来る。

彼女に自由さを感じながら、それをうらやましいと思うのではなくて、自分がしなかったもう一つの生き方をしている彼女を応援したくなる気持ちでいっぱいになる。

そういうことなんだと思う。

それを彼女に伝えたら、

「自由でも、そうでなくても、幸福感があればいいんですよね。
すごく、幸せそうに見えるし。」

そう言ってくれた。

彼女は戻ってすぐに、1ヶ月の予定で自分のしたいことをするべくアジア諸国に旅立つ。

とっても幸せそうな笑顔を残して彼女は羽ばたく。
私には彼女の背中に羽が見えた。

私は私の意思で羽はたたんでいる。
時々鳴いて、それが誰かに届けばいいと思ってる。