菫(スミレ)に思う

家の駐車場の溝に薄紫の菫が一列に並んでいた。
突然目に入った嬉しい贈り物だ。
私は薄紫の花が好きで、この時期にはムスカリ、十二単に続いて、ハナニラ、都忘れ、忘れな草、オダマキ、ネモフィラ、そして菫が一斉に咲きだす。
そんな菫のことを喜んでいたら、毎日少しずつ読んでいる本、高橋順子著「花の巡礼」の中に印象深い菫の詩があった。


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   - 娘 - (高田敏子)


スミレの花に生まれればよかった と
娘は いった
昼も夜も土の壕にひそんでいた日

花はこわくないのね
爆撃の後の畑に
ニラの花は白くすずしく咲いていた

娘の名はスミエ
その名を呼ばれる度に娘は「スミレ」と聞いていたのだろう

なぜ花になれないの?
幼い娘の問いに 私は
花になれない人間の
爆撃に飛び散るときの肉の重みを思っていた

娘はいま二人の子の母になって
ケーキを焼いている
バターは何グラム
おさとうは何グラム
そのメモリを正確に計ることに心を集めている
私はまだ あの重みを思っている
私が見てしまった肉片の重み
私が看護した兵士の失った片足の重み
そして私がこの家から運び出されるときの重みも

ケーキにはバターも 砂糖も
たっぷりと入っていて
入りすぎて味が少し落ちたのではないかと
娘は首をかしげている
これでいいかしら? おいしいかしら?

そんな娘を私は愛しく思う
人はいつも死に向かい合っている必要はないのだから
暗い淵ばかり見つめていることもないのだから

それにしても ケーキの味の良し悪しを
私に問いかける娘の不安な表情は
あの幼い日のまま
花になりたかったときと同じなのだ
そんな娘を 私は愛しいと思う
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道端に咲いている菫は、誰の目にも触れないまま咲いては枯れ、また次の年に力強く咲くという雑草のような逞しさがある。
そして、日本人が万葉の頃から親しみ、慈しんできた可憐な愛らしさも兼ね備えている。
土にしっかりと根をおろしている菫は確かに逞しいけれど、抜いてしまうとすぐにクシャンとなり、切り花には向かない花だ。
そんな菫のことを考えながらふと今日のニュースを見た。
山口県光市で9年前に起きた当時18歳の少年による母子殺害事件の判決が下った。
「死刑判決」という半ば予想されたことではあったが、直後の本村さんの記者会見に心を打たれた。
彼は当時、六法全集も開いたことのないまったく法律に関しても無知であったこと、そして何よりも彼の愛する家族の死の意味について淡々と語っていた。
そして、彼がこの9年間になしえた、日本の裁判制度における被害者家族へのさまざまな改革を思うとき、なぜ彼の家族が被害者だったのか、という意味もすべて納得しているような気がした。
命の重さについての話とこの菫の詩が私の中でシンクロする。
もう一度、声を出してこの詩を読んでみる。
本村さんに「お疲れ様でした」という言葉と共に、紫の菫の花束をあげたいと思った。

紫の菫の花言葉は 「誠実」「愛」。