泣きどころ

「芸能人は歯が命」だし、スポーツ選手も踏ん張ることが多いため、丈夫な歯は選手生命に関わる大事なアイテムだ。
6歳ごろから生え換わってきた永久歯は親知らずを足すと32本になる。
小学校の頃は学年終了時に虫歯がないことを何度も表彰され丈夫で元気な歯が自慢だった。
最初の虫歯が発覚したのは小学校六年の冬だった。
なんでそんなことを覚えているかというと、初めて歯の治療をするのに、何をされるんだろうと恐々椅子に座り、顎が外れるくらいに大きな口をあけドキドキしていた時に、ラジオからマラソンの円谷幸吉さんが自殺をしたというニュースを鮮明に覚えていたからだ。
だから、その日は1968年の1月9日のことだったと思う。
それから私の泣きどころになった歯との格闘の歴史が始まった。
中学の頃は寮生活をしていたことと、急に食べ物(菜食)が変わったことが災いしたのか、どんどん歯が弱くなり、休みになると歯医者さん通いが始まった。
でも、まだそのころは削るのが主流で虫歯をちょっと削ってはセメントを被せる治療が多く、毎年口の中は違う景色になってきた。
高校生になると、大好きな炭酸が弱い歯質に拍車をかけ、大事な前歯も虫くいになり、治療していた。
そして、あの悲劇の日を迎える。
あの日、家族で日曜洋画劇場を、映画館の雰囲気を出そうと電気を消して見ていた。
電話が鳴り、それを取ろうと思って振り向いた瞬間、激しい激痛が顔から全身に走った。
暗がりで受話器を取ったため、近くの柱が分からず顔面をその柱に強打したのだ。
電話は同級生で内容は忘れたが、たぶんこのアクシデントのため早々に切ったと思われる。
口から血が出て、治療中だった前歯が、まるで氷河の壁が溶け落ちるように出血とともに崩れ落ちた。
次の日、学校を遅刻して朝一番で歯医者に駆け込んだ。
結局、その日を境に私の前歯は2本欠落してしまった。
とりあえず保険のきく範囲での治療をすることになり、取り外しができる銀のブリッジで止めるだけの前歯をいれた。
あわてんぼうの私はこの歯を時々装着するのを忘れて学校に行き、大口を開けて笑った時に男子に何度か指摘されることになった。
「○○、歯がねーーぞ!!」
テニスの授業の時はスマッシュの瞬間に勢いよく口の中から歯が飛び出したこともある。
でも、まだそれは笑い話で、結構ネタにしたりしていた。
働くようになって、ちょっとはマシな歯を入れようと、保険外で立派な象牙の歯を入れることにした。
今までの漫画のような歯から、どこから見ても義歯とは分からない立派な歯が燦然と輝いていた。
何度も鏡で口元を見てみる。
もう、歯が入っているかどうかの確認をする必要もなくなった。
それから5,6年の月日が立ち、すっかり違和感のなくなった歯に再び悲劇が訪れる。
干物を前歯で引っ張った時に、「グキッ」と鈍い音がした。
「あ、しまった。もしかしたらやっちゃったかも・・・」
すぐに洗面所に行って鏡を見ると、やっと馴染んだ大事な象牙が無残に欠けていた。
そして、駆け込み歯医者。
2本が4本になり、4本が6本になり、6本が7本になり。
だいたい2、3年に1度のペースで何かしらのアクシデントがある。
一番ひどい時は根元が化膿してしまい顔全体が腫れて、歯医者に駆け込んだ時は、麻酔も効かずそのまま切開して膿を出したこともあった。
あの時の痛さで涙が止まらなかったことは未だに忘れられない。
昨日、また新しい歯を入れた。
今回は保険外で、相当な金額がかかってしまった。

いつまで持つのだろう・・・・という不安もなくはない。
いっそのこと全部入れ歯だったら保険がきくのにと、お金を払う時は一緒についていきたい気持ちになる。
それでも、やっぱり自分の歯が残っている間はだんだん減っていったとしても残った歯を大事にしながら、数々のアクシデントにも負けずにこの歯と仲良くしなくてはならない。
ちなみに、歯の質は遺伝するというけれど、67歳で亡くなった父は歯医者に行ったことがないほど立派な歯をしていたし、今年76歳になる母も、80歳までに自分の歯を20本残すという目標をらくらく達成する勢いだ。
誰にでもなんかしらの泣き所がある。
私の泣き所はきっと灰になるまでその存在を主張するのだろう。
人体の中で最も硬く、焼けることのない歯がその時何本あるのかな・・・。