安全な場所

私は何故か大きな地震があるときにその場にいないことが多い。
台風の時も飛行機の移動で 次の便から欠航になったこともある。
新幹線もあった。
そういうところはものすごくついていると思う。
そう気がついたのは、2001年の芸予地震の時で、その時は実家の東京に帰っていた。
わかったのも関東にいる甥が心配して携帯電話に電話してきた。
繋がるはずだ。
すぐに家に電話すると幸いにもこちらも繋がった。
「台所のダイニングテーブルの下に避難したんよー。今までで一番恐ろしかった」
と母が興奮気味に訴える。
家は岩盤の上に建っているので、少々の揺れは感じない。
それがとっさにテーブルの下に潜り込む行動をとるくらいの揺れを感じたらしいので、やはり相当なものだったのだと思う。
もともと、中国地方は地震が少ない。
私は関東の人間で、子供のころは結構しょっちゅう小さなグラグラは体験していたので、地震がそんなに怖いと思っていなかった。
地震が本当に怖いと思ったのは、1995年1月17日に起きた「阪神・淡路大震災」のときだろう。
あの時は、かなり揺れて目の前にある本箱を夫が押さえているのを、ベットに座り込んで見ていた。
いざとなると何をしていいか分からなくなるものだとあとからつくづく思った。
揺れが済んでから、下で寝ていた母に「大丈夫?」と声をかけると「うん、大丈夫」と答えたので、そのまままた寝た記憶がある。
災害慣れしていない呑気さだ。
阪神・淡路地方は未曽有の大惨事だったのに・・・。
それでも時間的には短かったけど、瞬間で感じた恐怖は私にとってはあの時が今までで唯一だと思う。
災害は予期しないときに突然訪れる。
そんな時に、安全な場所に逃げなさいと言うけれど、そんな場所はあるのだろうか?
うちには頑丈なダイニングテーブルがある。
物が落ちてくるぐらいの地震ならいい避難場所になるかもしれないけれど、裏の崖が崩れたら、それどころじゃない。
こんなことを言うと不謹慎かもしれないが、ある人に私は守護霊に守られていて、その距離がかなりの広範囲だと言われた。
ということは、もしかしたら私の周りが安全地帯?
だから、今まで地震も、台風もくぐり抜けてきたのかもしれない。
などと、呑気なことを思ってしまう。
信心深いわけではないが、何かに守られているという意識は、生きていくのに本当に気が楽だ。

中国四川省ではオリンピックを前に、大地震で大変なことになっている。
日々の幸せな暮らしが一瞬にして失われてしまう。
そういうニュースを見ながら、一方ではオリンピックの出場をかけるバレーボールの試合を見ては、ハラハラドキドキする。
よっぽど近しい人が被災しない限り、そういうことは他人事として、通り過ぎていく。
あとは、ひとつの歴史上の出来事の記憶でしかない。
幸せに生きるという事はそういうことなのかもしれない。
明日は我が身かもしれないけれど、そうなる前は安全神話を信じて、そういう幸せの中の余裕を感謝して、何か出来ることがあったらすればいいのだと思う。