相撲今昔


久しぶりに大相撲のダイジェストをテレビで見た。
最近はあまり魅力を感じなくなったのか、すっかりご無沙汰だったことを改めて思う。
子供のころから相撲が大好きだった。
「巨人・大鵬・卵焼き」の真っただ中に育ったが、巨人には興味なく、卵焼きは好きだったが、大鵬ではなくて同じころに関脇までいった開隆山(かいりゅうやま)が好きだったらしい。
らしいというのは、私はそれをあまり覚えていない。
親から聞いた話で、開隆山が登場すると「かいじゅうやまー!」と応援していたそうだ。
もっとも、これはラジオの時代。
そして、たんに怪獣に響きが似ていたから・・・という子供っぽい理由じゃなかったかなと思う。
テレビで相撲を見るようになって、明武谷(みょうぶだに)というこれまた最高位が関脇のそっぷ型の力士が好きになった。


色は黒いが、筋肉質で目鼻立ちがきりりとして当時は美男力士で通っていた。
つりの明武谷と言われ、細い体で巨漢力士を土俵の外につりだすその豪快な取り口は、見ているこっちも力が入り、勝負がつくと勝っても負けても拍手喝采したものだ。
それから長い間魁傑(現放駒親方)が好きだった。
最高位大関の魁傑は、大柄で色は褐色、当時としては足が長く、クマさんのような優しい目をしていた。
不器用な力士だったが、「黒いダイヤ」(って石炭?)とか「怪傑黒頭巾」と言われて人気者だった。
好不調の波が激しかったのは、怪我や病気でも決して休場しなかったためで、立ち会いに変化することもなく、今はあまり見られないきれいな相撲をとっていた。
大関になってから3場所で怪我のため陥落して平幕に下がったが、再び優勝して大関に返り咲く。
その後また肘の故障で陥落して、三度の夢は叶わなかったが、淡々と土俵を務めるその勇士ははっきりと記憶していて、今でも一番好きな力士だ。
魁傑が大関として活躍している頃、私は友だちの紹介のアルバイトで1年間、東京の3場所を蔵前国技館に通っている。
これは本当に貴重な体験で、今でも自慢できることのひとつだ。
某経済新聞のスポーツ記者の助手で、砂かぶりと枡席の間にある記者席で相撲の取り組みを見て、電話で勝ち負けと決まり手を報告するという、今思うと楽しく呑気で贅沢なアルバイトだった。
好きな相撲を目の前で見て(それも毎日)それでお金が貰えたのだから・・・。
経済新聞はあまりスポーツに力を入れていなかったので、仕事は十両からの取り組みの報告をすればいいので、午後から出勤だった。
取り組みは前相撲、序の口、序三段、序二段、幕下と午前中から始まっていて、他社のアルバイトからはずいぶん羨ましがられた。
あの頃の相撲と言えば、横綱は相手力士の立ち会いをしっかりと受け止めてからがっぷり四つに組んで、寄り切りで勝つのが横綱相撲とされていた。
個性的な力士も数多く、土俵入りから大歓声が飛び交う活気に満ち溢れていた。
体が小さくても突き押し相撲が得意な力士は、がむしゃらに突っ張る。
富士桜と麒麟児の押し相撲同士の取り組みは、どちらかが土俵を割るか、滑って手をつくまで延々と突いたり押したりが繰り広げられ、相撲場もテレビ桟敷も大いに盛り上がった。
先代の貴乃花も男前で体が小さいのに変化することなく、正々堂々としたその姿には悲壮感さえ漂っていて、老若男女を問わず、人気者だった。
彼が無敵の横綱北の湖を破って初優勝した時は、世の中は大騒ぎになり、友だちの貴様ファンのおばあちゃんは興奮のあまり心筋梗塞で亡くなってしまった。
千代の富士がまだ十両の頃で、脱臼した次の日にぐるぐるとテーピングして出場、立ち会いすぐに下手一本素早くとって、そのまま片手一本で下手投げで勝ったという、伝説の一番も目撃している。
と、実は相撲の話を始めたら止まらない。
それから、若貴の時代になり、今に至るわけだが、どうも最近は世間でも相撲離れが目立ってきた。
それを外国人力士が増えたせいにはしたくはないが、なんとその数の多いこと。
最初の外国人力士の高見山はそれなりに愛嬌があったし、曙だって武蔵丸だって力士らしい風貌をしていた。
でも最近のあまりに青い目の力士はどうも違和感がある。
体もあんこ型じゃないからただ大柄なだけで、あの桃色の肌の博多人形のような力士が少なくなった。
その姿だけでも楽しめた以前の相撲とはすっかり様変わりして、最近は土俵外の話題ばかりがやけに目立つ。
取り口にしても、勝ち負けが重要視され、得意技に拘るような相撲になかなかお目にかかれない。
立ち会いの変化ももはや意外性ではなく当たり前になり、時には当たった瞬間に脳震とうを起こしてしまうような迫力もめったに見られなくなった。

絶対的なヒーローが常にいたはずの角界に、もはや悪役が主役となってしまった今でも相撲は続いている。
もしかしたら、プロレスみたいに国籍不明の格闘技になってしまうのかもしれない。
それでも、相撲はまわしとちょんまげがある限り続くのだろう。
高見盛のあのユーモラスな姿を見て、もう少し強かったらいいのに・・・とついぼやきたくなるのは私だけじゃないはずだろう。