高野山詣で(その二)

紅葉で有名な京都、永観堂・禅林寺に「みかえり阿弥陀様」と呼ばれている阿弥陀如来像がある。
私が唯一、感動を覚えた仏像だ。
決して信心深いとは言えない生活の中で、仏壇に手を合わせたり墓参りをしたり、お盆正月、お彼岸のお勤めをしたりすることも、ただ習慣のようにこなしていたのだと思う。
身近であって、実感できない世界、そこに辿り着く意味さえもわからなかった。
高野山の霊宝館で、国宝や重要文化財に指定されている仏像をゆっくりと見て、目の前に立つと思わず手を合わせずにはいられない、その中に宿っている不思議な力を実感する。
何かが始まったようなざわざわとした波のような感情が寄せてきた。
この期間は、「高野山の名宝」と題された企画展で、山内の名宝がそれぞれの存在感で出陳されていた。

[国宝]
八大童子立像、仏涅槃図、聾瞽指帰、沢千鳥螺鈿蒔絵小唐櫃 (以上金剛峯寺)勤操僧正像(普門院)
[重要文化財]
孔雀明王像、大日如来像(西塔旧在)、即身成仏品、増壱阿含経巻第三十二(以上金剛峯寺)、覚禅鈔(西南院)、孔雀文磬(蓮花院)、阿弥陀浄土曼荼羅図、高野版木製活字(以上西禅院)、釈迦如来及び諸尊像(普門院)、毘沙門天像(光台院)、漢書(大明王院)など。
一番印象に残ったのが、鎌倉時代の仏師として有名な運慶の作であろうと言われている、国宝「八大童子立像」の一つ「矜羯羅(こんがら)童子」で、性格は小心者で従順、その表情は穏やかで親近感がある。

この八大童子はどこか身近にいる人に似ているらしい。
確かに、このこんがら童子は兄に似ていた。
似ていることで、今までの嫌な思い出や確執が全て洗い流されていく。
「これ、持って帰りたい」
そう笑いながら言うと、同じ思いなのか、何とも言えない笑顔が返ってきた。
如来像の前にはたいてい御賽銭箱が置いてあって、たくさん用意してきた御賽銭もその数の多さに、だんだん底をついてきた。
静かな部屋に、入れるたびに鳴り響く。
ある願い事を持っての高野山行だったので、その音が響く度に、それが届くような気がした。
ここへしばらく留まりたいと思いつつも、そこは限られた時間の旅の辛さ、真言密教の聖域と言われる「奥の院」へ向かった。
奥の院は、一番奥にある「御影堂」に行くまでの参道の両側に幾重にも大名や名家の古い墓が並んでいる。
杉の木立ちに、苔むした墓石が醸し出す独特な雰囲気は、厳粛とも幽玄ともいう言葉では当てはまらない。
かといって、墓所独特の重いどんよりする感じでもない。
比叡山を焼き打ちにして多くの僧を殺し、高野山も次の標的にしていたという信長の墓もある。
彼を裏切って殺した光秀の墓もある。
秀吉も、家康も、歴史上の名だたる人物の墓がある。
一般の人の墓もたくさんあり、お参りに訪れる人たちも観光客や御影堂を目指す巡礼者たちに交じっている。
この不思議な風景は、大きさの違いはあるものの、亡くなってしまったら皆一緒だということなのだろうか。
御影堂の沢山の灯篭の光の中で、何かに気がついたことが終わりではなくて始まりなのだと思う。
帰り道は、公園墓地と呼ばれる企業墓の建ち並ぶ道を通った。
同じ場所とは思えない、明るい広々とした場所にユニークなお墓が並んでいる。
ロケットや福助、グリコにUCC、一目でそれとわかる企業墓。
墓地のいたずら書きに心を痛めた人たちが「自由にラクガキを書いてくださいな」と、落書き専用の板碑もアチャコさんの碑の隣にあった。
慰霊碑もたくさんあり、動物の墓、供養塔と見ていて飽きることがない。

いろいろな思いをもらって、高野山を後にする。
次の目的地熊野古道へ。
ここに辿り着くには、実は恐怖の国道が待っていた。


                               (次号につづく)