三原てくてく旅
(神明市てくてくコース)

三原に住んで、四半世紀がたとうとしている。

初めての土地は珍しいものだらけで、1月には田野浦の奥にある金剛寺の火渡り、今はもうなくなってしまった中国駅伝では淀屋橋まで出て旗を振って応援し、必ず小雪がちらつく新明さんには酒粕や酒饅を買いに行き、さつき祭りには懸崖を楽しみに訪れ、やっさ踊りには、最初から最後まで飽きもせずに楽しそうに踊る人たちをぽかんと見ていた。
慣れたのか、飽きたのか、日々の生活の中からそういう年中行事がだんだんと減っていってしまった。
今年の秋、ひょんなきっかけで「アゼリアガイド」講習会を受けることになった。
アゼリアとは三原市の市の花さつきのことで、平成7年に発足し、今まで4回「ガイド養成講座」を開講してきたそうだ。
電話で参加を申し込んだとき、「観光ガイドと堅苦しく考えないで、あなたが住んでいる三原のことを勉強するつもりで、いらしてください」と言われたことで、多少の緊張モードも一気にリラックスモードに変換。
都合で私は第2回目からの参加となった。
3回目はいよいよ実際にコースを歩きながらの実地講習だ。
今回は「神明市てくてくコース」と「やっさ祭りてくてくコース」の一部を歩く旅だ。
1時に駅裏の隆景広場に集合し、小早川隆景公の銅像からスタートする。
軽快な口調で、三原城を築いた隆景公の話を中心に有名な毛利元就の「三本の矢」のエピソード等、次から次へと語られる。
駅構内の三原城の絵図面の前に立つと、今まで知らなかった古の三原城がふっと頭の中に過ってきた。
天守台跡もずいぶん前に登ってから、すっかり整備されていてちょっとした憩いの場になっていた。
築城を祝って踊られたというやっさ踊りの説明で、歌も飛び出す。
その美声に、思わす「やーさ、やっさ、やっさもっさ そっちゃせー」と間の手を入れる。
神明口を出ると、駅の下やマンションのすぐ脇に城の石垣が残るという珍しい風景に、あらためてこの地の歴史を感じる。
和久原川沿いに歩き、川にまつわる貴重な話や本陣跡や血洗川の説明を受ける。
清水橋から山に向かって鴨が遊んでいる和久原川を見る。
川の左右をを比べてみるとお城側の西が高く、東が低くなっている。
洪水の時に水がお城に流れないように意図的に土手の高さを変えている。
東側には庶民の住む家々があったわけだが、城を失うことは国を失うことになり、それぞれの立場でのすべき事のひとつだったんだろう。
今だったら非難轟々、すぐに市長はリコールされるところだ。
「神明市」の市が立ち並ぶ道から大周りになる北側を歩きながら、通り道にある庭木や鉢植えの花の話で盛り上がる。
ここからは、観音寺、松寿寺、極楽寺、熊野神社と続く。
どのお寺も、高台にあり、正面に海を配した三原の町並みが見える。
尾道の坂に面したお寺巡りを何度かしたことがあったが、わが街三原では初体験であることが、だんだんと恥ずかしくなってきた。

静寂で、簡素で、手入れの行き届いたお寺が、今もなお檀家や地域の人々のよりどころになっている様が伺える。
立派な山門のある極楽寺では仏教者、坂村真民の「念ずれば花ひらく」と「二度とない人生だから」の碑があり、墓地の入り口には子供を抱いた観音様と、目から涙を落としているように見える観音様が向いあって立っていた。
もう一度ゆっくり訪れて、また会いと思うところばかりだった。
ただひとつ残念だったのは、夏に訪れた熊野新宮大社の分祀である熊野神社が荒れ果てていたことだ。
お寺の存続に比べて、数少ない神社の荒廃が果たして何を意味するのかは、今の私にはわからないが、こうして知らなかったことを知って、それから何かを感じ、その先考えるという作業が、私自身にも待っているような気がする。

神明市のお仮屋を参拝して、お堀沿いの道を駅に向かって戻り、舟入櫓、聖トマス小崎像、一番櫓、作事奉行所跡と駆け足で見学して、3時間しっかり歩き、しっかり学んで今日のてくてく旅を終えた。
アゼリアガイド講習を通して、きっとこの街に対しての気持ちがきっと変わる。
そんな予感がする。
ただ、生活をしている街ではなく、もっとこの地に愛着を持ち、楽しんで暮らせるような気がしてならなかった。