アゼリアガイド研修を終えて


「やっさ祭りてくてくコース」「さつき祭りてくてくコース」を歩いて、そのほとんどが初めて訪れた場所であることに、新鮮な驚きと、今まで知らなかった、知ろうとしなかった羞恥が交る。
尾道の坂に似た石畳の路地が本町にもあちこちにあり、そんな路地の坂を登り七基の赤い鳥居をくぐった三原の街並みが見下ろせる絶好のポイントに大島神社はあった。
隆景公が戦の前に必ず祈願していた宮島の厳島神社や、舟入櫓を作った小島の上にあった小島稲荷、信仰していた久井町のくいいなりもここに祭られている。
柿色に染まった桜と、巻物と玉を加えているきつねがひっそりと迎えてくれた。
こういう神社を訪れると、「村の鎮守様」のありがたさを身にしみて感じる。
お寺は宗派とか檀家とか、観光として訪れる以外はやはり肩に力が入るが、神社には気軽さがある。
誰にでも平等にその力を惜しげもなく与えてくれる寛容さがある。
どんなに荒れた神社のように見えても、神殿、拝殿はもちろんのこと、鳥居や狛犬、木や石にまで「気」を感じることができるのだ。
少し迷路のようになった路地をあがり、浅野家の菩提寺である妙正寺にいくと、十二基の立派な五輪塔と石塔があった。
浅野家歴代の殿様の墓で、高野山の奥の院で見た浅野家の立派な五輪塔の記憶が蘇える。
「地・水・火・風・空」を意味するこの五輪塔は、繊細な宝篋印塔に対して、大きさ形もダイナミックでいかにも武家のお墓らしく、米山寺にある小早川家歴代領主の二十基の宝篋印塔とはまた違って、それぞれの家の歴史が偲ばれる。

高山城の山門を移築したという宗光寺の重厚な山門の前に立つ。
まるで今までの三原のイメージからかけ離れた異次元空間に迷い込んだようだ。
四足門、切妻造り、本瓦葺桃山風で国の重要文化財に指定されている。
この宗光寺こそが、小早川・福島・浅野と変わっていった領主とそれぞれ関わりがある三原の歴史そのもののようなお寺だろう。
明真寺・香積寺・大善寺・浄念寺・順勝寺とたくさんのお寺で三原との関わりの歴史を知り、お寺と当時の権力者との深い繋がりをあらためて思う。
こうして実際歩いてみてつくづく感じたのは、お寺の存続に対して、神社は寂れていることだ。
雨の降る中最後のガイド講習会で訪れた御調八幡宮は1300年もの歴史があり、天皇家のスキャンダラスな恋愛の逸話を知ることができた。
今まで登山道の入り口として素通りしてきた神社に、三原の歴史、たくさんの物語があった。
ただ、残念だったのは神社の一番奥にひっそりとあった「御神水」の井戸がすっかり荒れ果てていたことで、自然崇拝こそが神社の成り立ちそのもので、建物よりも元来祈りの対象であったものを大事に伝承しなければならないはずなのに、と寂しく思った。
この日は、米山寺、仏通寺と三原で誇れる歴史のあるお寺を訪ねた。
米山寺は、小早川家が栄華を誇っていた頃の名残は二十基の宝篋印塔にしか見られず、これもまた一つの歴史の流れを感じる。
一方仏通寺は臨済宗仏通寺派の大本山であり、「三原の観光地は?」と聞かれたら迷わず「仏通寺」と答えるだろう、私たち三原市民にもなじみのある紅葉の名所だ。
この日もあいにくの雨ではあったが、名残の紅葉を見ようとたくさんの人で賑わっていた。
道路に落ちた紅葉の葉っぱが雨のおかげで、ちょうどいい感じで貼りついていて、まるでもみじの絨毯だった。
細い参道脇に、永徳院・肯心院・正法院がおかれ、朱塗の巨蠎(きょもう)橋をわたると山門・法堂・本堂・がある。
仏通寺川の対岸のうっそうとした杉木立の中、174段の石段を登ると大きな銀杏の木が出迎えてくれ、開山堂と国の重要文化財に指定されている優雅な屋根の地蔵堂がひっそりとある。
周りの斜面には触ると崩れ落ちそうな五百羅漢が点々と置かれていて、ここは創建当時の佇まいが偲ばれる場所になっている。
こうして説明を聞きながらじっくりと仏通寺を散策してみると、居心地のいい場所であることを実感することが出来る。
紅葉の時期こそ賑わうが、普段は本当に山の中にあるひっそりとした禅寺で、自然の景観の中にしっくりと混じり合っている。
細くて恐々通った道も整備され、見違えるほどになった。
多くの人に訪れてほしいような、この佇まいだけは変わらないでいてほしいような、少し複雑な気持ちになった。
三原は決して観光地ではないし、観光ガイドのニーズもあまりない。
果たしてガイドになるかどうかは別として、今回はあまりにも知らなかった自分の住んでいる三原を知る第一歩になったことは間違いない。
知ったことで、もっと好きになれたことも嬉しいことだ。