悲しい瞳


4、5年前になるだろうか、用事で上京した時のこと、山手線で東京駅に着き、友人との待ち合わせ場所に向かうため丸の内出口に足早に向かっていた。
この駅はいつでも大勢の人でごった返していて、曜日も時間の感覚も忘れてしまう。
人波に流されまいと、必死に歩いている私には、すれ違う人の顔なんて見る余裕もなかった・・・・はずなのに、はっきりと見覚えのある顔が急に視界に飛び込んできた。
その人は、あの北朝鮮の拉致事件の被害家族である、横田滋さんだった。
認識してからすぐにすれ違い、振り返るともう雑踏の中に見えなくなるほど早足で、一点を見つめて早足で必死に歩いている様子が、痛々しかった。
彼のその悲しく強い眼差しがあまりにも印象的で、私はいまだにその表情をはっきりと思いだすことができる。
それと同じくらい、光市母子殺人事件の被害者家族の本村洋さんの、事件後最初の裁判後に出演したニュースステーションで見た、深い悲しみと憎しみに満ちた眼の光も忘れる事が出来なかった。
光市母子殺人事件は1999年4月14日に山口県光市で発生した当時18歳の少年が23歳の主婦を殺害後暴行し、生後11カ月の娘も殺害した残虐な少年犯罪で、今年で10年の歳月が過ぎようとしている。
死刑判決が決定されたのが去年2008年4月22日、その後の本村洋さんの記者会見を見て、私は再び強い衝撃を受けた。
むしろ事件が発生した直後より、もっともっと強い衝撃だったと思う。
そして、このことについてもっと知りたいと思った。

先週立ち寄った書店で、ジャーナリストの門田隆将氏著の「なぜ君は絶望と闘えたのか〜本村洋の3300日」を見つけたとき、思わず「あっ!」と声を出してすぐ手にとり、帯を読んだだけで胸が締めつけられ、すぐに眼頭が熱くなってきた。

それは、愛と新年を貫いた若者の“孤高の闘い”だったのか。
妻子を失った本村は、日々の生活への集中力や生きる意欲を失い、仕事に対する意味すら見出せなくなった。意を決して辞表を提出すると、上司は言った。
「この職場で働くのがいやなのであれば、辞めてもいい。君は特別な体験をした。社会に対して訴えたいこともあるだろう。でも、君は社会人として発言していってくれ。労働も納税もしない人間が社会に訴えても、それはただの負け犬の遠吠えだ。君は、社会人たりなさい」

次の日、私は時には泣きながら、一気にこの本を読んだ。
読んだことで、本村洋さんが、司法に絶望し、犯人に対して復讐をするとテレビで宣言した時から9年の年月を経て、当初からの望み通りに死刑を勝ち取った後の記者会見での穏やかな表情の意味が少しでも理解出来た様な気がした。

この本は、彼が自らの病気を通して培ってきた死生観から、家族を守れなかった絶望感という、彼の個人的な心情も実に淡々と書かれていて、大義をなす人は必ずしも特別な人だけではないことも教えてくれる。
自分の中に自分以外の人に対しての深い愛を持ち、だからこそ、他人からの愛をしっかり受け止められる人が、大義をなす事が出来るのだ。
それと同時に、彼は、相場主義という司法の陋習の是非や報道の在り方についても社会に多くの疑問を投げかけた。
そして、彼自身が常にマスコミに正面から自分の言葉で語ることにより、多くの人の共感を得、多くのものを動かし、変化させた。
今まで動かないとされてきた司法の大きな壁さえも崩したのだ。
これは、本当にすごいことだと思う。

そして、初めて彼が望んだのは復讐ではなく(最初はそうであったかもしれないが)、亡くなってしまった妻子のために、その死を無駄にしないようにと、必死で命の重さを訴え続け、闘った結果に勝ち取ったものが「死刑判決」だったということがわかった気がする。

彼はまだ若く、起こってしまったことは重すぎる。
それでも、この本を読み終えて、それを乗り越えて幸せになって欲しいと願っている人が、たくさんいることを知っていてほしい。
この本はノンフィクション本では異例のベストセラーになっている。
それほど多くの人が興味を持ち購入したということだ。
読んだ人は、きっと事件の特異性からくる興味だけにとどまらずいろいろな思いを残すはずだ。
それが彼の力になるかどうかはわからないが、この小さな思いが伝わると信じたい。

そして、横田滋さんにも早く報われる日が来てほしい。
あの悲しい瞳が一日も早く穏やかな瞳になれるよう、祈りたいと思う。