三原に吹く風(3月25日号)

 

タブーな話題

「寝ずの番」を観た。

酔いどれ作家の故中島らもの短編を、個性派俳優津川雅彦が祖父でカツドウヤの元祖マキノ省三監督の映画制作100年目にあたる2006年に、3代目マキノを名乗って撮った初監督作品だ。

 

この映画はタブーとされているお通夜に笑いを持ち込んだバチ当たりな作品だ。

 

物語は上方落語界の重鎮が危篤になり、最後にしておきたいこと「おそ○が見たい」というびっくり仰天な言葉で始まる。

その最後のお願いに答えるべく必死になる弟子たち。

 

とにかくおもしろい。

通夜の席で、故人を偲んでいろんなエピソードが語られる。

さすが、粋な世界で生きてきた師匠のエピソードは下品なシモネタではなく、色っぽい粋なシモネタだ。

おまけに、亡骸を起こして弟子たちが「らくだのカンカン踊り」を踊りだす。

最後はSKDばりのラインダンスだ。

連鎖のように亡くなる人たち。

そして、その都度繰り広げられるお通夜のいう名のエンターティメント。

不謹慎だとわかっていながら心から笑える映画だ。

 

最近、死について考える。

癒しの詩として去年から大ヒットしている「千の風」と近い思いをこの「寝ずの番」にも感じる。

死が肉体だけの滅びで、魂は永遠に残るものだと信じられるならば、こうしてしばしの別れは寂しいけれど、決して絶望的なものでないと思える。

 

この世という人生学校を卒業して、あの世という極楽浄土に旅立つ夜を残されたものが祝う。

そんな描きをしている「寝ずの番」

 

「千の風」では

 ぼくのお墓で泣かないでください。

 ぼくはそこにはいないのです。

 ぼくはお墓で眠ってなんかいないのです

 ぼくは千の風になって吹き渡っています。

 ぼくは雪の日にはダイヤモンドダストとなって

 きらめいています。

 ぼくは太陽の光となって豊かな実りを照らしています。

 ぼくは秋には静かな雨となって降り注ぎます。

 あなたが朝目覚めるとき、ぼくは鳥になって空に高く

  舞い上るでしょう。そして、夜には優しい星となって

  輝きます。

 ぼくのお墓で泣かないでください。   

 ぼくはそこにはいないのです。

 ぼくは死んでなんかいないのです。

と言っている。

 

同じことを言っているのだと思う。

死は決してタブーなものではない。

むしろ、「よく生きたね、お疲れ様。先にいって待っててね」と優しく楽しく見送りたい。

自分の立場で寂しがり悲しがるのではなく、死という別れさえも、相手の立場になって喜んであげることが出来たらどんな心安らかな気持ちになれるだろうか・・・。