はるかな尾瀬

尾瀬の朝は旅人に優しく、早い
沼山峠を5時前に出発、朝靄の森を歩く
聴こえるのは早起きの鳥の声と、木道に当たる靴音
静かで、清らかで、悠々とした時を進む
朝がだんだん濃くなっていく
大江湿原に入ると、薄山吹色の禅庭花(ニッコウキスゲ)が一輪出迎えてくれた
「遅かったね、待ってたよ」と
アオヤギソウ、タムラソウ、ミツガシワ、キンコウカ、サワギキョウ、ワレモコウ、ハクサンチドリ、オタカラコウ
群生はなくても、それぞれを精いっぱい主張しながら可憐に咲いている
極楽も、天国も行ったことはないけど、きっとこんなところだろう
瑠璃色の尾瀬沼が朝陽を浴びて輝いている
まだ始まったばかりなのに、ここにずっといたいと思う
長蔵小屋で池塘(ちとう)をぼんやり眺めながら朝食をとる
これからしばらくは峠道
すれ違う人たちと挨拶をかわしながら、森に入る
アカゲラ、ウグイス、コマドリ、キビタキ
子どもが親にねだるみたいな鳴き声に思わず足を止め、探してみる
鳥はなかなか見えない
BGMのようにその音色だけを届けてくれる
下田代十字路から正面に至仏山、振り返ると燧ケ岳
ここからは圧巻の一本道になる

真夏の太陽が、優しい照明のように目に見える全ての景色にスポットを当ててくれる
人通りも増えたが、雑踏ではなく活気だ
燧ケ岳がだんだん遠くになり青緑色した至仏山が近づく
山の鼻に着いたころは、足は豆だらけ、初日は15キロ歩行で終了
12時間爆睡して、二日目の朝を迎える
今日のコースは牛首分岐まで戻ってヨッピ吊り橋経由で三条の滝に向かう
昨日の木道のような圧倒されるような風景ではないが、ニッコウキスゲの群落の跡を辿る
見たかった風景がそこにはなくても、優しく残ってくれた何輪かの花を見ているとそこにあったであろう群生を想像できた
池塘には昨日は咲いていた羊草がまだ蕾のまま何かを待っている
その間を小さなサンショウウオが呑気そうに泳いでいる
小さなきれいな水色のトンボも短い夏を楽しむ
ここを歩くと、燧ケ岳、皿伏山、白尾山、小至仏山、至仏山、景鶴山と尾瀬が周囲を山で囲まれていることが実感できる
その中の湿原、やっぱりここは天国だ
赤田代で荷物を今日の宿に預けて、平滑ノ滝を経て、三条の滝へ
尾瀬の豊な水が全てここに集まって一本の滝となっている
少しぬかるんだ山道を苦労して辿り着くと、違う尾瀬の顔に出会える
3日目の朝は、元気な学生のおかげで少し寝不足
今日は最終日、いよいよ燧ケ岳を登ってゴールである御池を目指す
天気は予報に反して上々
私たち、よっぽど行いが良いのだろうか?
下田代十字路まで戻って、いよいよ山に足を踏み入れる
湿原では聴かなかった蝉の声も耳に入ってくる
比較的楽なはずの見晴新道だったが、尾根が見えてからもいつまでたっても険しい登り道は続く
コースタイムもはるかに超えて眼下に尾瀬ケ原が見える場所で昼食を急いでとる
二つのピークが遥か先に見えた時は泣きそうになった
辿りつけないかもしれない・・・
空が急に暗くなり、雨も落ちてきた
エスケープコースのないこの山はどんなに辛くても一歩ずつ上を目指すしかないと無言で教えてくれる
登頂予定を2時間すぎてやっとピークの柴安ー(2356m)に着いた
本当は360度の大パノラマを俯瞰するはずだったが、あいにくの霧雨
それでも、安堵感と達成感はどんな条件でもがっかりさせない強い気持ちを持たせてくれる
目指すものは実は目に見えない
そういうことを全身で感じさせくれる
三角点のある俎ー(まないたぐら)へ3時に到着
あとはひたすら下る
ぬかるみとつるつるとした岩に神経を注ぎながら、足も体も疲れはピークに達してきた
半分を過ぎたころに熊沢田代の湿原でキンコウカの群生に出会う
木道の近くには大好きなチングルマの種が風向きにお行儀よく並んでいる
最後にこんな贈り物を用意していてくれた
しばらく登山はいいよね、と泣き言を漏らしていたが、この瞬間に全て忘れてしまう
そんな思いを繰り返してきた
3日間、いろんな尾瀬の顔を見た
優しく静かな尾瀬
明るく楽しい尾瀬
深く厳しい尾瀬
そこははるかな別天地