「宿命」と「運命」

時々、「宿命」と「運命」について考える。
その違いというより、何か身近に起きた出来事を自分の中で消化しようとする時に、これは「宿命」これは「運命」と分類することが、消化の助けになることがある。
私の中では「宿命」とは自分では変えられない決まり事のようなもので、「運命」は自分自身で選択が出来るもの。
あるいは、「宿命」は過去から今現在までのすべての出来事が必然であったという、まさに命の中に宿っているという考え方で、「運命」は、これから運ばれてくる未来に向いている。

中国のことわざの中に、
「一宿命、二運、三風水、四陰徳、五教育」
というものがあり、これは、
「人間には、容易に変えられない宿命という人生の課題や役割があるが、風水(環境)を整えて、陰徳を積み、必要な教育をしっかりと受けることで、運命のエネルギーをコントロール出来、宿命を全うして、幸せになることが出来る」
という意味らしい。
言葉は、人それぞれが、納得して使えるようにある程度の広い意味を持っている。
それは、自分の中だけにある哲学で、自分の周りで起きる出来事を消化していく時に、とても便利だ。

何度も経験しなくてはならない、辛い出来事のひとつに「死」による別れがある。
その経験の度に、私の頭の中には、この「宿命」と「運命」という言葉が浮かんでくる。
亡くなった人にとって死は、「宿命」で、残った人にとってその死は「運命」なのかもしれない。
一人の死は、たくさんの人に様々な影響をもたらす。
亡くなった人にとっては「その死」は、現世での「終焉」だけど、残された人にとっては、「その死」はその人のいない生活の「始まり」だ。
家族だけではなく、親戚でも、友人でも、仕事の繋がりであっても、「人の死」は精神的にも肉体的にも、様々な影響をもたらす。
私も今まで沢山の「死」による「別れ」の経験をしてきて、その全てが今の私に何らかの影響を与えている。
「死」によって途絶えてしまったと思える関係は、実は、自分の中では終わることなく生み出され続けているのかもしれない。


世間では、初秋の観光シーズンだったこのシルバーウィークに、近しい親戚が亡くなった。
急逝だった。
「その死」はまさに遺族にとって、関わりのある人にとって、これからの生活において「始まり」だということを実感する。
小さい頃に父親を亡くし、大勢の兄弟姉妹の中で一生懸命働き続けたその人。
彼の手を摩りながら、「お父さん、ずっと一生懸命働いてくれたね」と、泣きながら感謝して見送った娘さん。
彼の現世でのやるべきことは終わった。
もし、彼が思いを残したと感じるのなら、それは感じた人が彼からもらった尊い贈り物なのかもしれない。
お彼岸に亡くなった人は、そのまま極楽浄土へ直行できるという言い伝えがある。
それを私は信じたい。