輝くひと。

秋晴れの10月12日、楽しみにしていた福山シネフクでの「ディア・ドクター」鑑賞+西川美和監督トークショーに行く。
映画は、この劇場で上映されてすぐに観ていたが、千秋楽のトークショーということで、久しぶりのリピート鑑賞となる。
事前に映画館を訪れ、最前列の前売りチケットを購入。
「ディア・ドクター」の取材の副産物と本人が語る、短篇集「きのうの神さま」も再読して、全身西川色といった感じ。
開演30分前に到着、ロビーで質問事項を考えながらその時を待つ。
映画館も近くにないし、リピート鑑賞をすることが最近はなかった。
DVDやビデオがなかった頃は、好きな映画はいわゆるロードショー落ちで何度も観たっけ。
期間を置かずに観るのは久しぶりのことで、引き出しの中の新鮮な思いが、動き出す。
西川美和監督作品を最初に観たのは、デビュー作の「蛇イチゴ」(2002年)だった。
2作目のオダギリジョー主演で、当時話題の「ゆれる」がなかなか広島で上映されなかったイライラを、レンタルビデオの処女作で満たそうと思ったのだ。
「蛇イチゴ」は、真面目な妹(つみきみほ)と詐欺師のような兄(雨上がり決死隊・宮迫博之)を中心とした家族の物語で、あまりにも私にとってリアルすぎて身につまされてしまって、冷静に観ることが出来なかったが、脚本も当時20代の西川監督が書いていることに新鮮な驚きがあった。
「ゆれる」は期待以上に、心に残る作品だった。
物語の好き嫌い以前に、映像としての美しさ、台詞でも表情でもない、後姿や物で語りかける手法、ラストシーンの強烈なインパクト、どれをとっても素晴らしい映画だった。
「友だちが殺人を犯す」という自分のみた夢から発想を得て脚本を書き、多くの賞と高い評価を得たこの作品は、映画の神さまがたぶん降りてきて、それを作らせたのかもしれないと、監督自身が思っていたようだ。
一度降りてきた神さまは、何度も現れない。
次回作に切磋琢磨している時に、監督としての力量に疑問を感じる。
「自分は本物なのか?」
それが「ディア・ドクター」の誕生だ。
全作品に共通している虚実の曖昧さや兄弟(兄妹)を中心とする家族の存在を、今度はユーモアというテイストをたっぷりかけて仕上げている。
そして、映像へのこだわりもさらにパワーアップしたように思えた。
トークショーで「一番お気に入りのカットは?」という質問に、監督は、
「ファーストシーンです。あのシーンが撮りたくて作ったようなものです」とサラっと答えた。
田舎の夜道、月の灯りのような自転車のライトがだんだんと降りてくる幻想的なシーンだ。
満月のようなこのライトがこれから始まる物語の全てをすでに予言していたなんて・・・。

トークショーでは、さすがプロと思えたアナウンサーの質問の巧さもあって、その一つ一つに丁寧に熱く語る西川監督の人間性に、清々しさと誠実さを強く感じた。
映画の完成後、今まで見守ってくれていたプロデューサーが亡くなり(それは短篇集のあとがきにもあった)、父親のような存在を失い、寂しかった時にその役を主演の鶴瓶師匠が担ってくれたこと。
キャスティングの時に、日本の俳優にはイメージに合った人がいなかったので、韓国の「ソンガンホ」も候補に挙がったが、ギャラが高くて無理だったという話から、自分だったら誰にするという話になり、映画ファンの目線で支配人が「渥美清」と言って「みんな目が細い!」と大爆笑。
ラストシーンについても賛否両論あり、当初はその前のシーンで終わるはずだったという、今まで聞いたことのなかった新鮮なトークショーならではのエピソードの数々を披露してくれて、本当に楽しい時間だった。
最後に観客の質問コーナーがあったのだが、好意的に言えば感動しすぎたためか、感想が長くなってしまったため、2名の質問で終了してしまったのが残念だったが、これも素早く手を挙げられなかった自分への後悔が、思い返す度に沸々と湧いてきた。

脚本から手がける西川美和作品は、そうたやすく観られるものではないが、今もっとも期待できる、日本の映画監督であると感じたのは、私だけではないはずだ。
そして、作家としての才能も見逃せない。
「ゆれる」の時は、映画にそった物語としての小説を届けてくれた。
「ディア・ドクター」では、登場人物にリンクするようなアナザーストーリーでさらに楽しませてくれた。
映画・小説共にじっくり味わうと、どちらもさらに深いものとなって、私の中にも気持ちよく流れてくれるのだろう。