マイノリティ

たとえば、子供の頃両親が別居して兄妹離れ離れで暮さなければならなかったとか、兄貴学校帰りに電車に乗って遠くの知り合いの家まで行き大騒ぎになり、翌日朝令の時、全生徒の前で「黙って家を出たりしないように」と校長先生からの訓示を聞いて赤面したことがあったら、これは普通の家庭環境にあるとは言えないだろう。
朝早く知らない人からの電話で起こされ、父親の飲み屋の借金払いがその日一番のやるべきことだったり、兄貴が紹介した日に彼氏に借金を申し込んだりしたら、それはやっぱり普通の暮らしではない。
特に小さい頃の環境というものは自分では防ぎようもなく、みんなと違うように見える(実際はわからないけど)自分の周りを不思議に思ったことがある。
それは確かにその違いを何となく感じていただけど、その違いを一方ではどこかで楽しんでいたようにも思う。
「経験」という言葉をどこかで意識していたのかもしれない。
昔から「みんなしてるからしたい」とか「みんなが持っているから欲しい」とか言わない子供だった。
だから 小学校のころは多くの子供が通っていた学習塾にも行かなかったし(習字塾に通っていた)、高校の時は、一人だけ違う体操服を着ていた。(実は体操服の申込が強制ではなかったので、するのを忘れていた)
そんなことを思い出してみると、次から次に沢山出てくる私のマイノリティな出来事。
私は、しっかりとマイノリティに属していると思う。
アウトサイダー(独自の思想を持って行動する人。局外者)までいったらかっこいいのだろうけど、どうやらマイノリティどまりで今までずっと生きてきたように思う。
環境もそうだし、自分自身も「普通じゃないよなぁ」という違和感をいつも抱えてきた。
高校卒業後の進路を決める時にも、結局みんなと同じに大学に行くのが詰まらなく思って、ほかの道を選んだ。
何かを選択する時は、まず「自分がどう思うか」が優先で、「みんなと同じように」ということはあまり頭の中にはなかったように思う。
なるべく「人と違う服」を好んで着ていた。
「変わってる」と言われることはむしろ嬉しく、私にとっては誉め言葉だったかもしれない。

いつの間にか、環境は与えられるものではなく、常識的な環境に少しずつ染まっていきながら、自分でも作る側になっていった。
時々、普通になってしまうことに自分なりの恐怖を感じながら。
人との違いを感じると、「どうして?」と相手に対して憤りを感じてしまい、それがイライラの原因になることがある。
そんなとき、自分が「マイノリティ」であることを思い出し、その違いは自分側にあるということを認めようとする。
そうすると次の瞬間には不思議と腹立たしさが軽減される。
やがてその怒りは溶けてなくなる。
自分の周りに、自分自身の中に何か起こる時、私はマイノリティであることを強く自覚しながら、
清々しい気持ちで、行動しようと思う。